本当に明るい性格なのか

  世の中には「ねあか」の人もいれば、「ねくら」の人もいます。 「ねくら」と言われる人は、やっぱりくらい性格をしていると思いますが、ねあかの人は本当に心の底から明るい性格をしているのでしょうか。 私には、そうとも思えないのです。 ここでは、心の底から明るい性格になれた人は問題外とします。 「おやっ」と思った方はおりませんでしょうか。 私は「明るい性格になれた人」という表現をしたことについてです。 ねくらのように心の底から暗いとは言いませんでした。

  実は、明るい性格には二通りあると思うからです。 ひとつは苦しみを経験したことがないために、明るくしていられるひとです。 (いわゆる「極楽とんぼ、のーてんき」と言われるような人です。) もうひとつは苦しみを経験したことによって、明るくなれた人です。 言い換えれば、絶望や逆境の縁からはいあがった人です。 

  明るい性格をしている人でも苦しみを経験したことがないために、明るくしていられる明るさは本物の明るさではないように考えるのです。 うわべだけの明るさと言っていいでしょう。 なにもうわべの明るさが悪いと言ってはいないことに注意してください。 うわべだけでも明るいことは、いいことです。 でも、そのような明るさを一生続けていくことが出来るでしょうか。 人生には苦しみや悩みがつきものなのに、苦しみのないところから生まれた明るさは、どこまで続くのでしょうか。 なにか起きるとよく「あの人は性格が変わった」とか、「性格が暗くなった」と言われる人の中には、苦しみを知らない明るさの人が多いのではないでしょうか。 ただ明るいつもりでいただけだし、周囲も明るいと思っていただけではないのでしょうか。 きつい言葉で言えば、俗に言う「世間知らず」だったのではないでしょうか。

  このような人が「人が変わったみたい」と言われたとしても、それは本当の自分がでてきたのに過ぎないのです。 大変冷たい言い方で申し訳ないのですが、そう思うのです。 ここで本来の自分が、はじめて試されているのに過ぎないのだと思います。 

  これに対して苦しみの中からでてきた明るさとは、本当の意味での「ねあか」ということです。 なぜなら苦しさの中でもがき、苦しんでなにかをつかんできたからです。 苦しくて「ねくら」になることも出来たのです。 少々の苦しみや悩みではへこたれない強さが備わっているからです。 世の中には「あの人はあんなに苦しい目にあったのに、よくあんなに明るく振る舞えるね」と言われるような人がいます。 こんな言葉は、本当の苦しさを知らない人の言う言葉だと言ったら、言い過ぎになるでしょうか。  そのような人の中にも、苦しくてそれを隠すために明るく振る舞っている人もいるでしょうが、苦しみの中から本当に明るさを得ることの出来た人もいるのです。 このような明るさが本当の明るさ、そして強さだと思うのです。 つらさを知っているからこそ、明るくなれたのだと思います。 なにしろ、この世の中はすべてが相対的だからです。 

  悩みに押しつぶされるのも、悩みをバネとして大きく飛躍するのも一人一人の決断次第なのです。 決断は自信だけにしかできないのです。 ぜひとも自信を持てるような生き方をして欲しいと思います。 一時的にはつらくなっても、その先には喜びがあると確信するからです。 喜びや充実感があるとは、決して悩みがなくなることを意味するものではないのです。 苦しみや悩みが自分にとってどんな意味があるのかが、理解できるようになってくると言うことです。

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