なにもしない(決断しない)で生きることは、本当は一番つらいこと

  私はつい2、3日前までは、こんなふうに考えたこともありませんでした。 「なにもしないで毎日を過ごすことが、本当は一番苦しい生き方だなんて」、考えることもできませんでした。 なにもしないで気楽に生きられれば、それがしあわせではないでしょうか。 多くの場合は、そう考えると思います。 きっかけは私の掲示板への投稿にあります。

  私たちは毎日様々なしがらみに縛られて生活しているので、そのしがらみから解放されたらどんなに楽になれるでしょうか。 そのしがらみから解放された生き方とは、

 時間を自由に使える
 したいことはなんでもできる (したくないことは、まったくしなくてもいい)
 言いたいことはなんでも言える
 他人の目を気にする必要がない
 義理、人情に縛られることもない
 言いたくもないお世辞は言わなくてもいい

  こんなことをあげることができるのではないでしょうか。

  私たちの陥りやすいあやまちのひとつは、「生きることが苦しいのはやらなければならないこと、気配りをしなければならないことが多すぎるからだ」と思い込むことではないでしょうか。 もちろんそうですが、果たしてそれだけでしょうか。 やらなければならないことや、気配りをしなければならないことさえ必要なくなれば、生きることは楽になると思い込んではいないでしょうか。 確かにそれらがなくなれば生きることのしがらみの多くはなくなりますが、それで生きることが本当に楽になるのでしょうか。 新たな苦しみが生じて来はしないでしょうか。

  私たちは、よけいなことさえしなければ生きることが楽になると思って、社会との接触を断ってしまえば楽になれると思って、自分の殻に閉じこもってしまうのではないでしょうか。 でも、自分の殻に閉じこもってなにもしなければ楽になれると思って、閉じこもった結果はどうなるのでしょうか。 自分の殻に閉じこもった人、自分の考えから抜け出せない人、自分からはなにもしようとしない人を見て、その人たちの生き方が楽に見えますか。 生き生きしているように見えますか。 しあわせそうに見えますか。 どんな人が、しあわせそうに見えますか。

  自分の殻に閉じこもってしまうことが、生きる目標をますます失わせてしまうのだと思います。 社会との接触を断ったことが、生きる目標を失わせてしまうのだと思います。 現実がつらいから楽になろうして自分の殻に閉じこもったことが、生きることをますますつらくしているのだと分かって欲しいのです。 いまなにもする気になれない人は、生きる目標がないからなにもする気になれないのではなく、なにもする気がないから生きる目標も分からなくなっているのです。 生きる目標を頭の中だけで作り上げようとするから、いくら苦しんでも見つからないのです。 生きる目標は行動することによってのみ見つかるのだと信じます。

  原因と結果が逆転してしまっているのです。

  逆に言えば、いま生きる意味が見つからなくて苦しんでいるひとは、生きる意味を探すことをちょっと休んで、なんでもいいから行動してみることが必要だと思うのです。 色々なことを経験する中から生きる意味がきっと見つかると思います。

  いま生きる意味が分からなくて、なにもする気がなくて苦しんでいる人に、「なにもしないから苦しいのだよ」と言っても分かってはもらえないでしょう。 その人たちに言わせれば、「なにもしなくてもこんなに苦しいのに、なにかしたらますます苦しくなる」と言われるだけかも知れません。 「苦しくてなにもする気になれないのに、なにかやってみなさいとはなにごとだ」となるでしょう。 生きる意味や目標が分からなくて苦しんでいる人は、私がいま書いてきたように考えずにぜひ行動してみて欲しいのです。 行動してみた上で、「苦しくてなにもする気になれないのに、なにかやってみなさいとはなにごとだ」と言って欲しいのです。 そのときは、このように言葉が口をついて出てくることは、なくなっているとは思いますが。

  なにもしない(列男子内)日常生活とは、目標のない毎日と同じことです。 目標がなければつらく、苦しくなって当然ではないでしょうか。 人間は意味を求める動物です。 なにに耐えられないかと言って、無意味さには耐えられないのです。 自分が生きていくことの意味は、自分が行動することによって自分で探し出す以外に道はないのです。 行動すること、仕事をすることは肉体的にも精神的にも疲れます。 とくに生活のためにいやいやながら働いていれば、なおさらのことです。 でもそこには生活のためという最低限の目標があるから、耐えられるのではないでしょうか。 生活のためという目標さえもなくなったら、耐えられないと思うのです。

  なにもしないから、生きる目標がないからよけい苦しむのです。 はじめは億劫ですが、どんなことでもいいですから、なにかはじめてみませんか。 大きなことではなく、ささいなことからはじめてみませんか。 そして家族や友人や社会との接触を持てるようになれば、生きる意味は見つけやすくなると思います。

  自分で自分をどうすることもできなくなったら、体を動かしていれば「気が紛れる」と言いますね。 なにもしないことは、とってもつらいことの証拠ではないでしょうか。 ただ、そのことに気がつきにくくなっているだけではないでしょうか。 なにもする気になれないから、気を紛らわすこともできなくなっているのではないでしょうか。 だからどんなことも、つらく苦しく感じるのではないでしょうか。

  行動あるのみです。 ただし、相手に迷惑をかけるような短絡的な行動ではありません。

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