生き甲斐を見つけようとするから、生き甲斐が見つからなくなる

 私たちは生きがいが見つからないと、どうしても頭の中だけで生きがいを探し求めてしまうのではないでしょうか。 自分のそのときの考え方の範囲でしか考えられない結果として、生きがいが見つからなくなったのに、その考え方の中で生きがいを探そうとするから、生きがいを見つけることができなくなって当然だとも思うのです。 (「目からうろこ」)

 人間生きることがつらくなれば、どうしても自分の殻に閉じこもって、自分の考え方でしか考えられなくなってしまいます。 ここに大きな落とし穴があると思います。 人間は最終的には、自分の考え方や自分の経験の範囲の中でしか考えられないし、行動できないのです。 これは何度も言ってきました。 

  ではどうすれば、自分の考え方や経験の枠を越えて考えることができるのでしょうか。 それにはいまつらくても、苦しくても行動することによって経験の範囲を広げ、その経験の中から新しいことを学ぶしかないと思います。 新たな経験が元になって、新たな考え方が生まれてくる可能性は高いのです。 そうすれば、いままでは見つからなかった生きがいも見つかるかも知れないのです。 生きがいが見つからなくなったときこそ、思い切っていままでの思考の枠から飛び出すことがなにより必要だと、最近になって気がつきました。

 分かりやすく言えば、いままでとは違ったことをしてみる必要があるのです。 いままでの延長でしか考えられないから、いつまで経っても生きがいが見つからないのです。

  それには勇気が必要です。 つらいのに、さらに何が起きるか予想もつかないことに挑戦しなければならないのですから、勇気が必要です。 この勇気が持てなくて堂々巡りをしてしまうから、ますます生きがいが見つからなくなって、自信を失ってしまうのではないでしょうか。 「生きがいがあるから生きられる」ということは、結果論にしか過ぎないような気がするのです。 いろいろと行動する中で自分が何かを感じ取って見つかるもの、それが「生きがい」ではないでしょうか。 

  生きがいは行動する中から見つかるものであって、考えて見つかる確率はきわめて低いように思うのですが、いかがでしょうか。 頭の中で考えた生きがいだけで生きていこうとするから、ちょっとしたことで挫折するのではないでしょうか。 汗水を垂らして理屈抜きで拾得した生きがいは、少しぐらいの障害で崩れるものではないと思います。 私は何度も言ってきましたが、生きていくうえでもっとも大切なことは「体を使って実感すること」こそが、本当に自分を強くしてくれると確信しています。

  なにかをしながら体で納得した生き甲斐こそが大切だと思います。 体で覚えることは理屈ではなくて、実感そのものだから強いのです。 生き甲斐が見つからなくて苦しんでいる人は、自分の環境を変えてみることが必要ではないでしょうか。

 いまはやりの「生き甲斐探し」をするのではなく、いろいろいとやってみることの中から、偶然というかたまたま見つかるものではないでしょうか。 「これから生き甲斐を探すぞ」といった行動は限定的となり、本当の生き甲斐が見つかる確率が低くなるような気がしてならないのです。

 生き甲斐は探して見つかるなら、多くの人がこれほど苦労することはないと思います。 生き甲斐を探すのではなく、いまやりたいことをやってみる、そのななかかに生き甲斐があるのではないでしょうか。

 いま、「自分探しの旅」などというものが、一種のブームになっているようですが、これについても同じことが言えるのではないでしょうか。

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