人生にマニュアルはない

 このことは、「人生に決まり切った道などはない」との関連が深いです。

  よく現代社会はマニュアル化社会といわれます。 マニュアル化社会とは、決められたことを決められたとおりに手続きに従って処理すればいい社会です。 そこには個人の創造性や自主性の育つ土壌がないのです。 よく耳にする話に次のような話があります。 育児に関してなのですが、子育てが育児書に書いてあるとおりにならないといって、育児ノイローゼにかかる母親が多いということです。 ここにすべてがマニュアル通りにならないと、心が落ち着かない人間の心理が表現されています。 昔であれは親子三世代があたりまえであり、若い母親の知らないことはおばあさんやおじいさんが教えてくれたものですが、いまは核家族が平均的な家庭となり、若い母親は自分の分からないことは育児書やウェッブに頼るようになりました。 マニュアルが万能だという思いがあるので、マニュアルどおりにならないと自分の子供は異常だと短絡的な考えてしまうのです。

  人間は似ているようでも、ひとりひとりはみんな精神的にも肉体的にも異なっているのです。 マニュアルはごく平均的なことを書いているのであって、それからはみ出す人がいても当然なのです。 

  人生も同じことであって平均的なもの見方、考え方からはみ出す人がいることが、当然なのです。 自分の考え方が社会常識と違うからといって、おかしいとは限らないのです。 中には本当におかしい人もいるでしょうけれども。 他人と違うことは個性的ということではないでしょうか。 自分は他の人とは違っているからといって、個性を自らの手で殺してしまっている人も多いのではないでしょうか。 人生にはマニュアルはないのです。 自分のマニュアルは自分でつくっていかなければならないのです。 

  他人から与えられた考え方は、ひとつの参考とはなっても、それはそのまま自分の生き方にはなり得ないのです。 他人の生き方を自分の生き方にして、本当の自分を押し殺して生きるから生きることが苦しくなるのではないでしょうか。 服装はオーダーメイドが似合うのです。 既製服は最大多数の人をターゲットにしていますから、その範疇からはみ出してしまう人がいるのは当然なのです。

  確かに常識や親の決めた道を歩んでいれば気楽かもしれませんが、それで本当に生き甲斐を感じられるのでしょうか。 本当に生き甲斐を実感できるためには、自分で自分の生きる道をみつけなければならないのです。 ないものを見つけなければならないから、生きることは苦しいのです。 人生には決まり切った道はないのです。 このことについては、別にページを改めて書きます。

  と、いいながらマニュアルみたいなものをつくっているのですから、皮肉なことだと苦笑いしています。

 多くの人の言うことを鵜呑みにしてはならないのです。 それらを参考にして自分に必要なことは何か、不必要なことは何かを支社選択して、この世の中に一つしかない「自分のマニュアル」ょを作り上げなければならないのです。

 ないものを作り出していかなければならないから、人生はつらく、苦しいことが多くなるのだと思います。 ジャングルを先頭に立って、道を切り開きながら進むようなものです。

 人生には、生きてみる前から決まった(あるいは決められた)道な゛どはないのです。 そのないものを見つけようとしても、見つからなくて当然なのです。 人生は、日常の汗と涙の中から「これだ」というものを掴むしかなのです。

 空気は地球の至る所に満ち満ちているのですが、それを掴もうとしても掴むことはできないのです。 あることは分かってたいても、世の中にはつかみ取ることができないものもあるのです。 人生も、その中の一つだと思います。

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