人生はささいなことの積み重ね

 私たちの日常生活は、毎日しなければならないことが次から次とあって、いつ終わるか分かりません。 正確に言えば、死ぬまでやるべきことはなくならないと思います。 明日は予定がないつもりでいても、なにかしら用件がでてくるものです。 このような状況が死ぬまで続くのですから、やるべきことを先送りしてしまうと用件がすぐにたまってしまい、なにから手をつければいいのか分からなくなってしまいます。

  「先送り」については、別のところで書いているように、自らの人生を自ら苦しくするだけです。 苦しい人生を送るのも、生き甲斐のある人生も自分次第だと思います。 他の人が自分の人生をつらいものにするのではありません。 (他の人によって、自分の人生を台無しにされてしまっていることもあると言えますが、それでも決断は自分がしなければならないという意味においては、人生をつらくするのも、楽しくするのも自分)だれでもない、自分自身がつらくするのです。 他のひとに苦しくされたと思うことは、責任転嫁をしているのにすぎないのだということを忘れてはなりません。

  現実には他人とのトラブルが元になって、生きることが苦しくなっているように思うことが多いのですが、それでも自分の生き方を苦しくするのは自分だと言わせていただきます。 理由はここでは触れません。

  私たちはささいなことはいつでもできると思って、先延ばしをする悪い習性があります。 私がまさにそのような人間の典型でした。 いましなくてもいつかはできると思って先延ばししすると、明日には別の用件が入ってきて、予定していたことができなくなってしまうことがよくあります。 このような人は別の用件が入ってこなくても、予定していたことをやはり先延ばししてなにもしなかったとは思いますが。 毎日のささいなことでも先延ばししていると、積もりに積もってひとつひとつはささいなことであっても、どこから手をつけていいか分からないくらい大きなことになります。 こうなると心の負担となって毎日の生活に大きくのしかかり、人生の歯車を狂わせてしまうようになってきます。

  こうならないために、どうすべきかは明らかだと思います。 先延ばししなければいいのです。 そのときそのときできちんと「けり」をつけることです。 自分一人で処理しきれないときは自分一人で抱え込まないで、ほたのひとに任せればいいのです。 そして結果だけを報告させれば、自分の時間が浮いてきます。 人に頼めなければ、その都度自分で片づけるようにすることです。 簡単だからといって明日に延ばすことは、結局はなにもしないことと同じことです。 なぜなら先延ばしをよくする人は、なにもしないことの理由として先延ばしするからです。 自分のことを振り返ってみると、変な話ですが自信を持って断言できます。

  ささいなことをその都度片づけていくと、大きな問題も実際より小さく見えてくるから不思議です。 心の余裕がそうさせるのだと思います。 問題を軽視しているから小さく見えるのではなく、慎重に考えても小さく見えます。 ささいなことも大事なことも、同じような注意を持って処理することです。 ささいなことだからといって軽く考えると、とんでもないしっぺ返しを食うこともあります。

私は若いときに次のように考えていました。 何か大きなことのできる人はささいことにはこだわらないと。 確かに大きなことのできる人はささいなことにはこだわらないのですが、私が見落としていたのは大きなこともささいなことにも同じように細心の注意を払うということでした。 私が考えていた「ささいなことにこだわらない」とは、「注意を払わない」と同じ意味に考えていたのです。 そしてささいなことにこだわる人を、心の中では馬鹿にしていました。 大切なことにも、ささいなことにも細心の注意を払う必要があるのですが、ささいなことにあまりこだわってはいけないのです。 注意することと、こだわることは本質的に違うことなのです。

  毎日のささいなことの決断の連続が、大きなことの決断を可能にするのです。 ささいなことも決断できない人は、大きなことの決断はできないのです。 ささいなことの決断の積み重ねが、大きなこととなって自分に返ってくるのです。 

  もう一度繰り返します。 ささいなことにいつまでもこだわってはいけません。 ただし、ささいなことにも大きなことと同じような注意をすることが必要なのです。 とかく、私たちはささいなことにこだわって、大切なことを見落としがちになります。 ささいなことにこだわったために、大切な人間関係を失うことも少なくありません。 どうでもいいことに、いつまでも関わっているほど人生は長くはないと思います。 ほかにやるべきことがあるのではないでしょうか。 私も54才になってはじめて気がついたことなので、大きなことは言えないのですが、このようなことは若いうちに気づけば人生は必ず楽になると信じます。

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