すべてのことは自分が出発点だ
すべてのことは自分が出発点だ |
私はいままで「自分を大切にすること」、「自分がすべてのことの出発点であること」、「周囲の価値判断に惑わされないこと」などについて、何度も言ってきたつもりです。
すべてのことは自分を基準として考えること | |
他人の意見には左右されないこと | |
自分の責任において考え、行動すること ・ 責任転嫁をしないこと |
すべてのことを、なぜ自分の問題として考えなければいけないのかを、具体的に述べたいと思います。
例として、職場で怒られる場合を想定しましょう。 よくあることですが、同じことをして同じような失敗をしたのに、自分ひとりだけが怒られるということはないでしょうか。 本来であれば他の同僚も同じように失敗したのだから、他の同僚も怒られてしかるべきなのに、あなたひとりが怒られてしまったのです。 もちろん上司の資質の問題もありますが、そのときは一般的には次のように考えると思いまする。
なんで自分一人だけが怒られなくてはならないのだ | |
あの上司はえこひいきをしているから、とんでもないやつだ |
と、こんなふうに考えると思います。 このように考えることで、あなたの感情はいくらかでも落ち着くかも知れませんが、問題はなにひとつ解決していないということに注目すべきでしょう。 感情的になってみても、問題が解決することはないのです。 でも、分かっているけれども止まらないのですよね。
問題を解決し自分をよりよくするためには、次のように考えることが必要だと思うのです。
「なぜ他の人は怒られないで、自分だけが怒られたのだろう。 自分のなにがいけなかったのだろう。」 |
このように考えることによって、自分という人間を磨いていくことができるのです。 たんに相手を恨むだけなら、だれにでもできます。 自分だけが怒られた理由としては、以下のようなことが考えられないでしょうか。
いつも自分の意見を言わない、反論しない、反発しないので怒こりやすかった | |
怒られるとやる気をなくすので、上司はやる気にさせてやりたかった | |
他の人に対する見せしめとして、うってつけの部下だった | |
いつも他の人より失敗が多いので、代表として怒りやすかった | |
あなただけが上司にお世辞を言うことができなかった | |
いつも上司の指示を的確に把握できなかった | |
仕事のやり方が自己流だった | |
仕事を期限までに仕上げることが少なかった (約束を守れない) | |
だらしがない |
など、さまざまな理由が考えられると思うのです。 自分は周囲の人となにが違うのか、どう違うのか、周囲の人と比較してなにができて、なにが出来ないのか、そのようなことを考えるチャンスが与えられているのに、ただ相手を恨んでばかりいてもどうにもならないのです。 むずかしいですね。
このように考えることによって、人間として向上していくことができるのです。 たとえば自分がだらしないために大事なものを紛失してしまったとすれば、「なぜ自分はだらしなくなってしまったのか」と考えることが必要なのです。 そのように考えることは、いままでの自分の考え方や生き方を考え直してみることであり、とりもなおさず自分自身の根本的な問題に立ち返ることを意味するのです。 自分の根本的な問題を考えるということは、自分をいじめることではなく、反対に自分を大切にすることなのです。 つらくいやなことなので考えたくはないのですが、このように考えることが自分の向上につながり、それは自分を大切にすることなのです。
なぜ自分は意見を言えない、反論できないのか、その原因を考えることが求められているのです。 決して相手を恨むことを、求められているわけではないのです。 なぜ自分はやる気がないのか、その原因を考えることです。 なぜ約束を守れなかったのか、その原因を考えることです。 それ以外には、なにもありません。 その原因は、社会の常識に縛られた生き方をしてきたことのあるのかも知れないし、親のしつけや教育にあるのかも知れません。 親のしつけや教育に問題があるときには、そのことに気がつきにくいものです。 なぜなら親子共々同じ環境で暮らしてきたので、従来のやりかたが当然だと思うからです。 当然だと思っていることを疑う人は少ないのです。 当然と思えることを、一度は徹底的に疑ってみることも必要なのです。 当然となっている前提そのものがおかしいということも、決して少なくないからです。 このような意味で、すべての問題は自分自身の問題なのです。 現実をどのように理解するかは各人の自由ですが、どうせのことなら自分の生き方にプラスになるように考えることが、生きることを楽にしてくれると思います。 このときに大切なことは自分を社会から離れた存在として考えるのではなく、あくまでも社会の中で共同生活をしている社会的存在として考えなければならないということです。 ここで自分を社会から離れた存在として考えてしまうと、その行き着く先は孤立であり、孤独であって、自分勝手な利己的な人間にならざるを得ないということです。 すべてが自分の問題だというと、「社会には責任はないのか」という反論がでて来ると思います。 もちろん個人の意志を越えたもの(個々人の力ではどうすることもできないこと)の社会的・集団的な意志が個人の考え方に、大きく作用することも事実です。 我々は社会がどうなろうと、それは自分には関係がないというのではなく、社会がそうなってしまっのは個人の意志の集団としての力が、個人のレベルを超えてしまった結果だと言えます。 我々一人一人が考え方を変えることによって、社会のあり方を変えるように社会に関わっていくことが必要なのです。 個人と社会のバランス感覚が問題なのでしょう。 どんなことを判断したり、決定するにしても、自分がしなければならないのです。 苦労が少なく、成功したければ、経験を積むしかないのです。 そして自分なりの現実にあった生き方をするしかないのです。 他人に与えられた生き方をしてはいけないのです。 すべては自分が決定することです。 だから、「すべてのことの出発点」は自分以外あり得ないのです。 |
だから、自分の生き方に自信を持つ必要があるのです。 なぜなら「自信」とは、自分で自分を頼ることができる能力だからです。