どうにもならないとは、どんなことか

 私たちが生きていくうえにおいて、「もう、これ以上どうすることもできない」というような場面に幾度となく遭遇します。 ここでは「どうにもならない」ということについて考えてみます。 そのときに「どうにもならない」と思っても、なんとかその危機を乗り越えていまも生きているのですから、結果としては「どうにかなった」のです。 ではその危機をどのようにして乗り切ってきたのでしょうか。 このことを意識することはとても重要なことだと思います。

  「どうにもならない」と言うことには、重要な前提条件があると思います。 私たちは危機に陥ったときには、その前提条件はほとんど忘れてしまっているのです。 
  その前提条件とは、

現在の状況のままではどうにもならない
いままでの考え方ではどうにもならない

ということではないでしょうか。 すなわち現状を前提条件として考える限り「どうにもならなくなる」のではないでしょうか。

  考え方やものの見方を変えることができれば、状況も変えることができると思います。 つらいときにものの見方や考え方を変えることは難しいことなのですが、どうにもならなければそうするしかないのです。 それともいつまでも現状にしがみついて、つらい毎日を送りたいと思うなら話は別なのですが。 まさか、そんな人はいないと思います。 つらい毎日にしがみついて生きていくなんて、考えられないことです。 ただし、復讐のためにだけ生きている人は別でしょう。 自分の過去を振り返ってみても、無意識のうちにも考え方やものの見方が変わることによって、あるい変えざるを得なかったことによって危機を乗り越えてきたと思います。 現状にしがみついている限りは、ものごとは好転しなかったように思います。 

  ものごとの考え方を変えるという、首尾一貫していないように解釈されることもありますが、どうにでもなることで首尾一貫していないのであれば、それは批判されても仕方のないことですが、どうにもならないときに考え方や見方を変えることはむしろ積極的な生き方と言うべきだと思います。 これが知恵ということだと思います。 知識からはでてこないことだと思います。

  どうにもならなくて苦しんでいる人は、ものの見方や考え方を変えてみてはどうでしょうか。 それは分かっているが変えることができないという人が多いと思います。 多いというより、大部分の人がそうだと思います。 その人には「ものの見方や考え方を変える勇気を出しなさい」としか言いようがありません。 決断するかしないかは、他人が決めてあげることではなくて、自分自身が決めなければならないことだからです。 

 世の中のほとんどのことは、やってみなければ分からないからです。

  なにかいままでとは違った行動をすることによって、いままでの考え方から抜け出せるかも知れません。

  すべては、この一点にかかっています。 決断するか、それともしないか。 決断できない理由については、ここでは省略しますので該当する項目を読んでください。 人生において最期のよりどころは、自分しかいないのです。 自分だけなのです。 誤解してもらっては困るのですが、このことは人生は孤独だと言うことではありません。 念のため。  

  私も分かっているのにどうにもできない、どうなもならないことが多くて悩んでしまいます。 頭では分かっているのにできないから、苦しむのですね。 活きることは死ぬまで、この繰り返しなのでしょうね。 そのなかで一歩一歩地道に自分を変えていくしか、方法はないように思うこのごろです。

 どうにもならなくなったとき、その悩みについて考え込んでも、あまり前向きのやり方は頭に浮かばないと思います。 考えれば考えるほど、解決の糸口が見えなくなったり、選択肢が狭められてしまうものなのです。 そんなときは、一時的に考えることを止めて、気分転換することも必要ではないでしょうか。 心の持ち方が変わったり、少し余裕ができてくると、いままでは考えつかなかったような閃きが湧いてくることもありますから。

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