欠けいてるのか、それとも求めすぎるのか

 世の中には常識的にだれがみても「あの人には能力がある、あの人は人一倍の努力家だ」とみえるのに、本人にとっては自分の実力が実感できずに無力感に悩んでいる人もいます。 功なり名を遂げても自殺する人もいるのです。 なぜこんななことになるのでしょうか。 世間的に見て人一倍認められている人が、なぜ自分で自分を認めることができなくて苦しんでいるのでしょうか。

  このような人はいくら努力しても自分を信じられず、逆に努力すればするほど自分の無力感に悩むことになると思います。 そんなことがあるものかと反論されることは承知のうえで、こう言いたいのです。 なんのために努力するのかが間違っているのではないでしょうか。 以前に「疲れる努力、疲れない努力」というところでも書きましたが、このような人は疲れる努力をしていると思います。

  すなわち、努力の目標が「自分をよくするため」ではなくて、他人に優越するために、他人に笑われないために、周囲(家族をも含む)の期待に応えるため、自分の身だけを守るため、不安から逃げるための努力をしているから、どんなに努力しても満足感が得られないのだと思います。 本当は自分をよりよくするため、自分が楽しむために努力すべきなのに、努力の向け方が違っているのだと思います。

  もうひとつは、このようなひとは往々にして、自分にはできそうにもない高い目標を設定しがちだということです。 なぜ、そのような目標を設定してしまうのか。 それは他人に自分を受け入れてもらうためには、他人よりもすべての面で優れていなければならないと思っているからです。 だからこそ、いくら努力しても達成感を満たすことができないのでしょう。 人間の努力には限りがあります。 どんなに努力しても、すべての面で他人より優ることは不可能に近いと思います。 その不可能に近いようなことをやろうとすれば、自分に無力感を感じて、自分を信じられなくなっても当然過ぎるくらい当然だと思うのです。 

  本人は意識していないでしょうが、このような人は努力すればするほど目標が高くなっていき、現実と理想のギャップが縮まることはないのではないでしょうか。 かえってギャップが広がっていくのではないかと思います。 このような人は能力がないのではなくて、すべてにおいて自分に過大な要求をしているのだと思います。 能力がないのではなくて、求めすぎているのです。 そうではないでしょうか。 本人は間違ってもこのように考えていないと思いますが。 このことを考え直せば、無力感から解放されて、自分に本当の自信を持てると思います。

  求めるということは自分にないから求めるのであり、「求めすぎる」ということは結果的に自分に欠けているものが多すぎるということになるのではないでしょうか。 だからこそ、努力しても努力しても、求めすぎる人は自分の無力感に苦しまなければならないのです。 客観的にはその人に能力が十分にあっても、主観的にはそのことを認められないので、努力すればするほど苦しくなっていくのではないでしょうか。 

  言葉を変えて言えば、不安感から逃げるための努力をしている以上は、自分を信じることはできないと思うのです。 自分の本当の気持ちが努力にあるのではなくて、不安にあるからです。 不安については「人間を努力に駆り立てるもうひとつのもの」を読んでください。 自分のやりたいことのために努力しているときは、疲れはあまり感じないし、不安を持つこともないことはだれでも経験することだと思いますが、いかがでしょうか。 少なくても、私の経験からはそう断言できます。 周囲を気にしているから、努力の達成度合いが気になってしまうのです。 だから常に目標は、より高く、より高くなってしまうのです。 失敗は絶対に許されないことになってしまうのです。 本当は周囲が失敗を許さないのではなく、自分がそう決めつけてしまったのです。 周囲から認められるためには、そうならざるを得ないのです。

  努力する態度は同じであっても、不安から逃げるために努力するのか、それとも自分をよりよくするために努力するのかによって、人生はまったく異なってくると言わざるを得ません。 無力感で悩んでいる人はこのことを考えてみれば、自分はなんのために努力していたのかが分かり、そうすれば自分に自信を持てるようになると言わせてもらいます。 

  いまのままの自分でも、自分を認めてくれる人や自分を必要としている人がいるということを、理解することです。 この世の中には、いまのままの自分を必要としてくれる人はいないと感じている人も多いですが、それはいままでつき合っていた人の中には自分を必要とする人がいなかったということです。 つき合う人が違ってくれば、一人や二人は自分を必要としてくれる人もきっといるはずです。 現に私を必要としてくれた人もいたのですから。 自分にまったく自信を持てなかった若いときには、私も自分なんて生きていても仕方のない存在だと思っていましたが、死ぬ勇気もなかっただけです。 自分を必要としない人とはつき合わないことです。 いままでとは違う人と積極的につき合うことです。 難しいことには違いありませんが、そうしなければ人生は苦しいままで終わってしまうと思います。

  人生になにも求めないことは問題外として、求めすぎることもいけないことです。 理想ばかり見つめていても、現実を無視してはどうにもならないのです。 このことを考え直すことができれば生きることは楽になり、頭では分かっていても考え直すことができなければ生きることは苦しみの連続になると思います。 ここでも決断が求められています。 決断というと大げさに聞こえる人には、「選択が求められている」と言い直します。 選択とは捨てることでもあるのです。 この件に関しては「選ぶということ」を読んでください。

  なぜ自分は他人よりも優越しなければならないと思うようになったのかについては、ここでは省略します。

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