ケチは失うものが多い

 世の中には鷹揚(おうよう)な人もいれば、ケチな人もいます。 「おうよう」とはたかが空に飛び上がる様子から、「ゆったりとしていること、おおまかなこと、幅を利かせること」を意味し、「鷹揚」と書きます。 あの人は鷹揚だと言うときは、

ささいなことにこだわらない
ものに執着しない
金離れ(金使い)がいい
人間関係にもおおらかである
他人におだてられて鷹揚に見えるひと

 というようなことを言います。 このように考えると鷹揚とはよいことばかりのようにも見えますが、反対に考えれば大まかである、ものを大切にしない、無駄な出費が多い、なんでも人任せにする、人間関係にあまり気を配らないので人生の機微が分からないとも言えるでしょう。 

  ものごとは、どんなことにも裏と表とがあるので、その片方だけを見ないで両面を見ることが必要なのです。 ものごとの両面を見るには、人生経験を積むしかないと思います。 ものごとの両面を見ることができるようになって、はじめて世の中を正しくという(より現実的に)か、現実をありのままの姿で理解できるのです。 人生経験の少ないひとが世の中のことを分かったようなことをいうのは、独りよがりかも知れませんし、劣等感に苦しんでいる証拠かも知れません。

  ケチとは、極度に物惜しみをすることを言います。 「ケチと節約」は根本的に違うということを理解して欲しいのです。 一般的に「ケチ」とは、「必要なことにもお金や労力を使おうとしない人」を指していると思います。 自分のためになることしかしない人、自分と家族のためになることしかしない人、特定の人のためになることしかしない人など、ケチにも色々なバリエーションがあります。 ケチなひとの生活態度とは

目先の損得ばかり考えて、長期的視野で考えない
人からもらうことはいいが、人にあげることをしない
人に聞かれても、知っていても教えない
必要なものも買わないで我慢する
お金を使う明確な目的もないのに、お金を貯めることに喜びを感じる
他人のためには働かないし、お金も使わない
義理を欠く
お金が惜しいという理由で、人間関係を広げることをしない

 このような生活をしていると

周囲から嫌われる
情報が入ってこない
孤立する
だれからも相手にされなくなる

  このようにしてケチな人は孤立していき、普通ならばできる友人もできなくなり、なんの情報も入ってこなくなって結果的に失うものが多くなる、逆に言えば得るものが少なくなってしまうのです。 なによりも生きていくうえでもっとも大切な人間関係や信頼関係を失うこと、得られないことになります。 目先の損得を重視するあまり、長期的な損得を考えることができなくなり、結果として大切なことを次々と失っていくのです。 ケチな人はお金を使わないことで、一時的には得をしたような気分になれますが、長期的に見れば大損をしているのです。 この大損に気がつかないという、なんとも間抜けなことをしているのです。

  節約とは自分にとって必要のないことはしない、必要のないものはいらないということでしょう。 決してケチだから買わないとか、しないというのではないのです。 節約のできる人は常に長期的や視野に立って、将来のためには現在はどうあるべきかを考えて行動しているのです。 必要とあればお金もどんどん使うし、他人が困っていれば与えることもあるし、だけかにに尋ねられれば教えてあげるし、義理も必要な義理と不必要な義理を峻別して対応するし、人間関係においても自分の人格を高めるために交際範囲を広げるし、なにごとにも積極的なのです。 ただ、はたから見ていると不必要なことにはあまり関心を示さないので、ケチと見えるのかも知れません。 逆に言えば、凡人はそれだけ無駄なことにお金や労力を費やしているとも言えるでしょう。 自分の趣味などにお金をかける人も、この部類に入るかも知れません。 ただし趣味は大変結構ですが、道楽はいけません。 道楽は身を滅ぼす元になります。 趣味と道楽の違いは、古典落語でも聞けばおわかりいただけるものと思います。

  次のことは、昔本当にあった話だそうです。 どこの藩かは忘れましたが、ケチで有名な一人の武士がいたそうです。 ほとんどの武士たちはお金をどんどん使ってしまい、武士の魂であるよろいや馬までも売ってしまっていたそうです。 そんなときに戦が起こったのですが、多くの武士たちはよろいや馬がなくて、ケチと言われていた武士のところに借金しにきたそうです。 そのときケチと言われていた武士は、なにも言わずにお金を貸してやり、殿様のところに3千両もの大金を無償で差し出したということです。 戦が終わっても、お金を借りた武士に返済の督促は一度もしなかったということです。 この武士はけちだったのでしょうか、それとも節約していたのでしょうか。                                                               

  ケチな人はそもそもお金を使う気にならないので、趣味も持とうとせず、人間関係も義理にお金がかかるという理由で避ける人が多く、これでは孤立していって当然だと思います。 人生で一番大切な人間関係という財産を自ら放棄している以上、失うものはあっても得るものがないのも当然です。  

  ケチな人は自分の損得を最優先の価値判断の基準としているため、自分にとって得にならないことは、どんどん人生から捨てていきます。 世の中には短期的には損をしても、長期的には得をすることもたくさんあるのですが。 自分の利益にならない人を自分の交際範囲から捨てていくことは、自分の身の回りには各人自分の利益しか考えない人だけが残ることになります。 そしてその中でお互いに自分の利益のためにだけ、足の引っ張り合いをしているのです。 ケチな人の周りには、こんな人しか残らないのです。 普通の人はケチに見切りをつけて、立ち去ってしまうのです。 自分の身の回りをよく観察してみれば、私の言っていることを納得してもらえるはずです。

  最後に繰り返しになりますが、ものを失いたくなくてケチになった人は、結果的にはかえって多くのものや人を失っているのです。 私はクリスチャンではありませんが、聖書にある「与える者は得る。 得ようとする者は失う」」という言葉の意味の半分くらいは分かったような気がします。 なによりも大切な人間関係を失うことによって、相手を信じられなくなり、世の中を信じられなくなり、社会を逆恨みするようになってしまうのです。 これこそが「ケチはすべてを失う」と言うことの意味です。

  人間関係は面倒くさいと言って、人付き合いを避けることもまったく同じことです。

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