人生の問題はどう解決するかより、どう対処するかが大切だ

  こう書くと、意外に思われる方が大半ではないでしょうか。 問題を解決しないでどうするのだと。 実は私もいままでは、そのように思っていました。 でもこのホームページを書いている内に考えが変わりました。 よく考えてみると、人生は自分の思い通りにはならないことがむしろ多いのです。 自分の思い通りにならないということは、解決することが難しいし、解決していないことも多いことなのです。 解決したくても解決できないことが多い、これが人生の実相ではないでしょうか。 だから悩むのだということはすでに書いたとおりです。

  自分の力では解決できないことまでも解決しようとするから、余計に悩まなくてはならないのです。 もう一度繰り返しますが、人生には解決したくても解決できないことが多すぎるのです。 でも解決しようと努力することが大切なのです。 この解決しようとする努力が、人生に対処するすなわち生きていくということだと思うのです。

  自分の考えられる最善の方法で問題解決にあたり、「結果は天に任せる」ことが必要だと思うのです。 最善の策で対処すれば、結果が期待通りではなくてもあきらめがつくと思います。 一時的には挫折を味わうでしょうが。 結果だけに気を取られていたら、命がいくつあっても足りなくなるでしょう。 挫折感から立ち直れない人の多くは、結果だけがすべてと考える人ではないでしょうか。

  俗な言葉で言えば「人事を尽くして天命を待つ」ということわざ通り、最善を尽くしてあとは「出たとこ勝負」なのです。 天命を待つということは、ある意味では出たとこ勝負と同じことではないでしょうか。 「出たとこ勝負」というと、大変無責任にも聞こえるでしょうが、それしかないし、そうすることが生きることを楽にしてくれると思うのです。 出たとこ勝負の結果でもって、またこれからのことを考えればいいのだと思うのですが、大分反論をもらうような気がします。 いい意味で「後は野となれ山となれ」です。 「なるようにしかならない」と言ってもいいでしょうね。

  これが「人生の問題はどう解決するかより、どう対処するかが重要」ということの意味です。 これは決して敗北主義だとは思いません。 最善を尽くしてできないことは、どうしようもないのですから。 問題は「最善を尽くした」と言えるかどうかということだけです。

  しかし世の中には最善を尽くしても失敗したのに、いつまでも諦めきれない人も大勢いるのです。 このような人は自分の心のあり方を考え直す必要があると思うのですが、いかがでしょうか。 どうにもならないことなのに、いつまでもくよくよする。 これが一番良くないことだと思うのですが、みなさんはどう思われますか。 

  ただし最善を尽くしたといっても、それは自分の能力の範囲内でのことですから、他の人から見ればよりよい方法があったかも知れません。 そのときこそ、他人を手本として学び取ることです。 なんども繰り返すようですが、自分の能力を超えたことは自分ではどうすることもできないのです。 だから心を持ち直して、他人から、先人に学ぶほかに道はないのです。 

  相手を自分の思い通りにしようとしても、相手が自分の思い通りにならないのであれば、解決しようにも解決することは不可能なのです。 このところを、よく考えて欲しいのです。 他の人の心まで自分が支配することはできないのです。 だからこそ重要なことは問題が解決することではなくて、結果がどのようなものであっても、自分が納得できるような方法で対処することが必要なのです。 それができれば、結果にいつまでも捕らわれることがなくなると思います。

  このホームページのなかで、一番大切なことかも知れません。

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