プ ラ イ ド
私たちはよく「プライドを持て」と言われたりしますが、「プライドを持つ」とはどんなことなのでしょうか。 なにか大切なことを勘違いしていることはないでしょうか。 プライドの意味を辞書で引くと「自尊心、自負心、誇り」とありました。
誇り | … | いばる 大言を吐いていばる 名誉 自慢 |
自尊 | … | たかぶること 自ら尊大にかまえること うぬぼれること みずから自分を優秀なものと思い込むこと |
自負 | … | 自分の才能を頼みほこること うぬぼれ 自慢 |
辞書を引くと上記のように書いてありました。 どうもあまりよい意味はなかったようです。 オクスフォードの英英辞典でもひけば、きっと違った意味があると思いますが。 (私は持っていないので、機会があれば図書館で調べてみます。)
どうもプライドと言うと、次のように解釈されているようです。
自慢するもの (結果として相手にみせびらかすもの) |
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価値観や考え方の優劣を競うこと (勝ち負けを争うための道具) |
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自分を守るもの | |
相手を攻撃するもの | |
自信過剰を表すもの |
だからこそ、私たちは「プライドを傷つけたの、傷つけられたの」と言って大騒ぎをするのではないでしょうか。 プライドとは本当にひとに自慢したり、自分を守るためのよろいに過ぎないのでしょうか。 私はプライドとはいい意味で自分を守るために必要なことではあっても、決して外敵の進入を防ぐための道具でもないし、まして他人に自慢するためのものでもないと思います。
自分の生き方や考え方も定まっていないのに、自分を守る道具としてのプライドを持とうとするから、「プライドを傷つけられた」と言って大騒ぎするのだと思います。 だからプライドの高い人ほど傷つきやすくなってしまうのです。 なにしろ自分を守るための防具を破られることになるのですから、大騒ぎにならざるを得ないのです。 そんなものがプライドなのでしょうか。 プライドの持ち方が間違ってはいないでしょうか。
ではプライドとは、どのように解釈すればいいものなのでしょうか。 どうしたらプライドを持っていて、しかも自分は傷つかなくてすむのでしょうか。 どうしたら相手も傷つけないですむのでしょうか。 プライドは自分を守ったり、誇ったりするために持つのではなくて、自分がそうしたいから持つ、そうなりたいから持つものだと思います。 言葉を変えれば「自分に自分を誇りたいから持つ」、「自分で自分を納得させるもの」、「自分を信じられるようにするもの」と思います。 プライドを
自分を守るため | |
相手を負かすため | |
自慢するため | |
自分の優越感を誇示するため |
のために持ってはいけないのです。 自分に自分を誇るための意味でプライドを持つことができれば、相手になにを言われようが気にならなくなるのですから。 相手になにかを言われていちいち気になると言うことは、自分を守る道具としてのプライドしか持っていないということを証明しているだけなのです。 そんなものをプライドと勘違いするから、人間関係がますますおかしくなってしまうのではないでしょうか。 プライドの高い人ほど傷つきやすいのは、自分を守るために自分勝手な理屈や屁理屈をプライドと思い込まざるを得ないからなのです。 自分を守る鎧がないからこそ、ますます自分勝手な屁理屈で自分を守るようになってしまうのです。 そしてますます傷ついていくのです。
本当の意味でのプライドのある人は、他人になにを言われても傷つくことはないと思います。 たとえ傷ついても、それは一時的なことであり、長くその影響を引きずることはないと思います。 そして、自分が間違っていたと思えば、いままでの考え方を現実に合わせて柔軟に変えられるのです。
本当の意味でのプライドとは、自分を確立した人だけが持つことのできる自分自身に対する誇りだと思います。 自信のある人だけが持つことのできる、自分の生き方に対する納得だと思います。 だからプライドのある人は、周囲からなにを言われても傷つかないし、反論する必要もないのです。 自分のなかでは心の底から納得したものに基づいて判断し、行動しているからです。 自分を大切にできない人がプライドを持っているとしたら、それはプライドではなく思い上がりやわがままに過ぎないのです。
ただしプライドを持つことができるには、試行錯誤を繰り返すしかありません。 逆説的ではありますが自分が傷つかないで、プライドを持つことはできないのです。 生きるためには自分が傷つくことは避けられないのです。
自分がいくらいい意味でのプライドを持っていても、場合によっては相手を傷つけざるを得ないこともあるのです。 なぜなら人間はだれでも自分の考え方、自分の見方でしか行動できないからです。 「相手によかれ」と思ってしたことが、必ずしも相手のためにならないことも多いからです。 なぜ、そうなるのか。 それは相手と自分のものの考え方が違うからです。 でも大切なことは相手を傷つけるかも知れないと思って考えすぎると、結局はなにもできない人間になるしかないということです。 「ときによっては、相手を傷つけずには生きられない」と知ることは非常に重要なことです。 相手を傷つけてしまったらどうするかが分からないから、生きることがつらくなってしまうのです。 このことに関しては、ページを改めて考えます。
「俺は、自分はプライドが高い」と言っているような人とは、つきあわないことです。 そのような人が、自分の人生に必要な人とはなり得ないからです。 そのような人は、周りの人をいらいらさせるだけです。