自分の弱さを克服するには、一時的に自分が傷つくことは避けられない

 私たちはだれでも、弱い自分をなんとかして強くしたいと切望しているはずです。 しかしいくら自分を精神的に強くしようとしても、それがなかなかできないのはなぜでしょうか。 自分が強くなりたいと切望しているのに、なぜできないのでしょうか。 

 最大の理由は自分が傷つかないで(自分がつらい思いをしないで)、自分を強くしようとするからではないでしょうか。 自分が傷つくとは、自分の弱い面、嫌いな面に気づくことだと思います。 自分の弱さを認めるということは、自信のない人には難しいことなのです。 ここにジレンマがあります。 なぜなら、自分の弱さを認めるとただでさえ生きる基盤が弱いのに、一時的にしろ自分の生きる基盤がますます失われてしまうからです。 自分の弱さを認めるということは、一時的には自分のいままでの存在基盤を自分で否定することになるからです。 他人に否定されるなら耐えることもできますが、自分で自分を否定することは耐えられないことなのです。 だからこれに耐えられない人は、自分の弱さを認めることができないのです。 だから自分の弱さを認めることが難しいのではないでしょうか。

  この悪循環がますます自分を弱くしてしまうのだと思います。 自分に自信をつけるうえで自分の弱さを認めるということが不可欠なのに、その不可欠なことを認めようとしないから、いつまでたっても弱い自分から抜け出せなのだと思います。 自分を精神的に強くするためには、自分の弱さを認めること、すなわち自分自身が一時的にせよさらに傷つくことは避けられないのです。 自分が傷ついてこそ、強くなれるものと思います。 自分が傷つくということは、経験するということです。

  自分が傷つくのが恐ろしいから、自分の弱さを認められないのです。 認められないから、いつまでも苦しみが続くのではないでしょうか。 自分が強くなりたいと切望しながらも強くなれないで苦しんでいる人は、このことを考えてみてはどうでしょうか。 自分は傷つかないで強くなろうとしてはいないかと。

  自分が強くなるためには、一時的にせよ自分が絶望の淵に追いやられることは避けられないのです。 その絶望から立ち上がった人だけが、自信を持てるのです。 絶望や挫折のない人の自信は、にせものです。 絶望を克服できたからこそ、自信がついたのです。 私の周りで自信を持っている人を見ても、そう思います。 「ふっきれる」という言葉がありますが、「ふっきれる」と表現がぴったりしそうです。 自分自身を知るということは、自分が傷つくことと同じことだと思います。 「自分はどこから来て、どこへ行くのか」とは古来から言われてきたことですが、「自分はなんのためにどこから来て、どこへ行くのか」を探していきたいと思います。

  このことは、とっても重要なことです。

  だからこそ自分の外の世界をいくら変えてみても、自信は得られないのです。 自信をつけるためには、自分の内面を見つめるしかないのです。 自分の内面を見つめてこそ、生きる安堵感が得られるのだと思っています。

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