自分を責めてはいけない

 私は最近までこのようなことについて書こうとは、思ってもいませんでした。 きっかけは入院中(ヘルニア)に見たテレビ番組の新春対談を見たことです。 その対談とは瀬戸内寂聴さん、整理回収銀行の社長でもあった弁護士の中坊さん、それに世界的に有名な建築家の安藤さんの鼎談(ていだん…三人で話すこと)でした。  その中で中坊さんが森永ヒ素ミルクの事件にふれたときの話が忘れられないのです。 中坊さんが被害者の家を訪ねて歩いたときのことだそうです。 被害者は一様に森永の会社の責任を責めないで、自分たちを責めたというのです。 なんと言って自分を責めたかというと、「森永のミルクを買わなければよかった」、「高い方のミルクを買っていれば、こんなことにはならなかった」、「自分は運が悪かった」と言って、自分たちを責めていたのには驚いたということです。 

  森永ヒ素ミルク事件とは、大部まえのことになりますが粉ミルクの中にヒ素が混入して、多くの赤ちゃんがヒ素中毒にかかった事件です。 その後遺症は、いまだに尾を引いています。 なぜ被害者は会社の責任を責めないで、自分たちを責めたのでしょうか。 それには他人の責任を厳しく追及するという社会的合意が、当時はあまりなかったこと、あまり騒ぎ立てると周りから白い目で見られるといった社会的な風潮があったからだと思います。 しかしながら、なぜ被害者は会社の責任を追及しないで、自分を責めなければならないのか、現代社会に住む私にとっては理解のできないことです。    

  とくに当時は、人の責任を追及することは地域社会から白い目で見られ、自分たちはその地域社会で暮らしていけなくなることを意味していたのも同然だと思います。 (今の若者には理解できないことだと思いますが、当時はそのような時代だったのです。) 他人の過失のために自分を責めることによって、その人はしあわせになれるとでも言うのでしょうか。 もししあわせになれるのなら、自分をどんどん責めればいいと思いますが、このようなことで自分を責めてもかえって自分が辛くなるだけだし、社会に対する恨みを押さえ込むだけだし、自分にとってはなにひとつ利益になることはないのです。 恨みを押さえ込むことは、精神的な安定を欠くことになり、毎日の生活そのものが苦しくなるだけです。 ただでさえヒ素中毒の患者を抱えて苦しんでいるというのに。

  ここから学ぶべきことは、自分の責任と相手の責任を明確にして、お互いにその責任に応じた行動をとるべきだと言うことです。 このことは別のところに書いてありますので、「自分の責任範囲を明確にしよう」をお読みください。 相手の責任までもを引き受けることなく、自分の責任を相手に押しつけないことが、問題の解決を早め、あとにしこりを残さない方法だと思います。 

  また中坊さんはこうも言っていました。 多くの人は相手の責任を追及するときは社会的責任を持ちだし、自分が責任を追及されるときは法的責任を持ち出すと。 法的責任とは社会生活を営む上での、最低限のモラルであり、社会的責任とは道義的なより高度の責任なのです。 ここに人間の不条理さがあるとも言っておられました。

  話を本題に戻すと、お互いの責任範囲を明確にすることによって、自分の生き方が苦しいものとならなくなり、相手も苦しくならなくなるのです。 そこに理解と納得が得られ、しこりを残すことも少なくなると思うのです。 自分を責め続けることは、なんの解決にもならないばかりか、社会を呪うことになってしまいます。 社会や人を呪って、しあわせになった人はいるのでしょうか。 呪いの目的を達して自己満足を味わった人はいるかも知れませんが、しあわせになった人はいないと思います。 呪うことの代償は高くつくのです。 分かっていても止められないのが、人間の性というものなのでしょうか。 小説の「レ・ミゼラブル」の結末はどうなったのでしたっけ。 人を呪うことがどんな結末を招くのかは、テレビや新聞の三面記事をみればよく分かるように思います。 ただ、自分がそのようにならないという保証はなにもないので、日々注意して生きていくことが肝要かと思います。 念のために書き添えておきますが、自分を責めるなと言うことは、相手を責めろと言うことではありません。 責任の度合いに応じて、その責任をお互いに引き受けることです。

  話を変えて、自分がなにか失敗したときのことを考えてみたいと思います。 「あのとき、こうすれば良かった、ああすれば良かった」と自分を責めれば、なにか解決策が浮かんでくるのでしょうか。 自分を責めれば責めるほど自責の念が積もり、自分を信じられなくなり、そして自信を失っていくだけだと思います。 しかし自分を責めるのではなく反省材料とすれば、そこからは解決策や今後のやり方を学ぶことができるのです。

自分を責めることと反省することは一見似ているようですが、その中身は大きく異なると思います。 反省することは大いに結構なことですが、自分を責めることは決して自分のためにならないと思います。

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