自分が変われば、相手も変わる

 このこともいままでに書いてきたことを、言葉を変えて書いているだけです。 私たちは人間関係で問題が生じると、とかく相手に責任転嫁し(事実、相手に非があることもあります)相手を操作(謝らせたり、行動を変えさせる)しようとしがちです。 なかにはだれが見ても相手に非がある場合は当然のことですが、相手が必ずしも悪いわけでもないのに相手を操作することも多いはずです。 なぜなら人は自分の過ちを認めると、自尊心に傷がつくことに耐えられないからです。 自分が悪いと分かっていながら、言い訳をする人は後を絶ちません。 自分を正当化しようとやっきになり、相手を責めてばかりいる人も多いと思います。

  そして相手の悪口を言ったり、恨んだりするようになるのです。 相手の方も「目には目を」で、お互いに反目しあって人間関係が崩れていってしまいます。 このようなことで苦しんでいる人は、星の数よりも多いかも知れません。 相手を中傷したりしていれば、感情的には収まりがつくかも知れませんが、問題はなにひとつ解決することなく、大切な相互の人間関係が失われていくだけです。 そしていつまでも自分が苦しむだけです。

  許すことのできない相手を許すことは容易なことではありませんが、憎しみや恨みにとらわれて生きているかぎり、自分の心の安らぎが得られないのも事実です。 憎しみや恨みはその相手に対しての思いやりを欠くだけでなく、すべての人への思いやりも欠いてしまうのです。 もしだれかを恨んでいながら心の安らぎを求めているとすれば、いつまで経っても心の安らぎは得られないと思います。  

  人の心の中で、このようなことはだれでも直感的に分かっているのですが、実行に移すこともできないことですね。 本当にそう思わずにはいられません。

 心の安らぎを得るための方法は、許すことのできない人を許すしかないと思います。 言い換えれば、自分の考え方を変えないで相手だけを変えようとしても無理だということです。 権力やお金の力で相手を屈服させることはできても、それでは心の安らぎは得られないはずです。 相手に対して自分の態度を変えれば、はじめのうちは相手もとまどうでしょうけれども、相手も心を開いてくる可能性が高くなると思います。 ここまで書くと「北風と太陽」の物語を思い出しました。 許すことのできない人に暖かい思いやりをもって接して、はじめて自分の心に安らぎが得られると確信しています。 半年ほど前に、私はこのことを痛いほど体験させられました。

 自分が悪くないのに、自分から変わることはばかばかしいし、意志の弱い人間にも見えるかも知れません。 でも、心の安らぎを得るためには、乗り越えなければならない壁なのですね。 

 許せそうもないことを許す、これこそ本当の勇気かも知れません。 それを示したのが「キリストの十字架」なのでしょう。

  現実には自分が思いやりをもって接しても、必ずしも相手は好意的に受け取ってくれるとは限りません。 もしかしたら、常識的に言えば「自分がバカな役」を演じているとしか見えないかも知れません。 それでも自分の心は安らぎを得られるはずです。 生身の人間ですから、相手が好意的になることを心の底では求めていますが、相手がどのように対応するかが大切なのではありません。 自分が許すことのできない相手に対して、どのように接することができるようになったかが大切だと思うのです。

  難しい、難しい、本当に難しい。 あぁー、むずかしい。

  自分が変わることは考え方、ものの見方が変わることなので、自然に他の人や社会を見る目も変わることになります。 いままでの憎しみの目で社会を見ていたのから、温かい目で社会を見ることになります。 そうすれば世界が変わるのです。 いままではどうにもならなかった自分や社会がまったく違って見えてくるはずです。 どんなことでも「ものごとの基本は自分だ」ということは、こういうことだと思っています。

  問題は、どのような見方をするかと言うことです。 ものは見方によっては、「丸いものも四角に見える」と言いますから。 このことも何度でも繰り返しますが、ものは考えようと言うことです。 これは信念がかけているから、「ものは考えよう」といっているのではありません。 信念さえ持っていれば、ものごとは柔軟に考えられ、柔軟に対処できるのです。 信念のために自分自身の身動きがとれなくなることは、実にばかばかしいことだと思います。

  でも多くの人は次のように考えるかも知れません。 四分六分で相手が悪いのに、なぜ自分が変わらなければならないのだと。 答は簡単明瞭です。 そうしなければ自分がつぶれてしまうからです。 自分が苦しんでも、憎い相手が自分よりも苦しんでいれば、それで自分の心は癒されると思うこともあります。 実際私もそのような生き方をしていたこともありました。 でも、それでは心の底から癒されることはないはずです。 やっぱり自分が変わらなければならないと思うのです。

  とくに親子関係で苦しんでいる人は、両親を憎むことを一時中断して自分の考え方を変えてみませんか。 自分が変わろうともしないで、なにか変わることを期待しても無理だと思います。 いまの苦しみから抜け出したいなら、自分から変わろうと考え直すことはできませんか。 試してみるだけでも、試してみませんか。 面子などは考えないで、やってみませんか。

  これに関連して「なぜ自分だけが変わらなければならないのだ、バカバカしい」も読んでください。

 このページは、自分への最大の戒めです。

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