なぜ、欲望は身を滅ぼすのか
欲望を持つことはいけないこと、悪いことなのでしょうか。 欲望は持つものではなくて、人間に生まれながらに具わっているもの(本性)のひとつではないでしょうか。 欲望の持ち方や程度の問題はありますが。 欲望という言葉を聞くと、多くの場合よくないことを想像してしまうのはなぜなのでしょうか。 欲望はしあわせになるための原動力のひとつでもあるはずなのに、なぜ悪者扱いされてしまうのでしょうか。 その大きな理由のひとつに、我々の従来の価値観では欲望は悪いもの、あってはならないものと教え込まれてきたからだと思うのです。 あまりにも当然のこととして教え込まれてきたために、このことについて疑うことさえしなかったのではないでしょうか。 確かに欲望は表現の仕方ひとつで、他人や、社会に大きな迷惑をかけてしまうことも事実です。 でも、もっと重要な理由は個人的な欲望を捨てさせることによって、国家への忠誠を誓わせることにあったように思います。 第二次世界大戦前の日本社会を思い起こしてもらえば、分かり易いかと思います。 「滅私奉公」という言葉がありました。
また、精神的欲望と物質的欲望を分けて考えなかったことにも原因があります。 精神的な欲望は、自分がよりよくなるためには欠くことのできない要素であって、いくら持ってもかまわないし、逆により多くの精神的欲望を持つべきだと思います。 この場合の精神的欲望とは、知識よりも知恵のことを指します。
ここでは、物質的な欲望に限定して考えていきます。 なぜ物質的な欲望は身を滅ぼしかねないのかについて、話を進めていきます。 私たちが豊かな生活をするためには、精神的な豊かさだけでなく、物質的な欲望もある程度充足される必要があります。 精神的に豊かであれば、少々の物質的欠乏を我慢できる人もおりますが、たいていの場合は両者のバランスのとれていることが理想でしょう。
物質的な欲望の強い人とは、
虚栄心の強い人 | |
自我が確立していない人 ・ 自分なりにしっかりした考えのない人 |
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劣等感・不安感の強い人 | |
成金趣味の人 | |
お金がすべてのことを解決すると考えている人 | |
物質的に普通の人より恵まれている人 ・ 「お金が貯まれば貯まるほど、人間が汚くなる」という意味です |
とりあえず、こんなことがあげられるかと思います。
これらの理由については、別の項目でその都度書いてきましたが、ここでまとめてみましょう。
第一に「虚栄心の強い人」は、なぜ物質的欲望が強いと言えるのか。 虚栄心の強い人とは「みえ」の強い人であり、自分を実際の自分より大きく見せる一番身近な方法は、経済的に豊かに見せることです。 お金持ちはみんなにちやほやされますから、自分を満足させずにはおかないのです。
他人に優越することこそ、人間の最大の喜びですから。
第二は「自我の確立していない人」についてです。 自分なりに考えのしっかりしていない人が、自分を実際より大きく見せようとすれば、相手の希望をかなえることによって自分の存在を確認しようとします。 相手の希望を満足させる最大のことは、相手に経済的利益を与えることだと思います。 要するに自分は相手に利用されるだけの存在になってしまうのです。 そしてその要求はエスカレートしてくるでしょう。 そのためには自分も無理をして、相手に経済的利益を与え続けなければならなくなってしまうのです。
第三の「劣等感・不安感の強い人」は、そのことを隠すには自分を誇張したり、強がりをしなければならず、そのことは精神的にはもろいから主として経済的な面での優越を求めざるをえないということです。 その結果は、前の二つのことと同じところに落ち着いていくのです。
最後の「物質的に普通のひとより恵まれている人」が、なぜ物質的な欲望の虜になってしまう確率が高くなるのでしょうか。 物質的な欲望と精神的な欲望の最大の相違点は、
精神的欲望には ・ 満足感がともなう ・ 思いやりができる ・ 相手を幸せにできる ・ 満足感がでてくると無理をする必要を感じなくなる ・ 心の充足感がある ・ 協調できる |
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物質的欲望には ・ きりがなくなる ・ 欲望にはきりがないので、どこまで行っても満足感や安心感が得られない ・ 「これでもか」、「もっと」と言う気持ちになる ・ 脅迫感がでてくる ・ 自分を守るためにに、絶えず緊張を強いられる § このことは別途説明を要します ・ 相手を蹴落とすことでしか、自分は豊かになれないと思っている |
と、こんなことがあげられるのではないでしょうか。
「お金が貯まってくると、なぜ自分の身を滅ぼしかねないのか」、すなはち「自分の身を守るために緊張を強いられる」ことについての、私なりの考えを述べてみたいと思います。
お金やそのほかの財産が貯まってくると、それを守らなければならなくなります。 残念ながらこの社会は、相手を陥れたり、だましたりということが多すぎるからです。 自分の身を守るためには、
絶えず他人の動向に注意する必要がある ・ 相手は自分をだまそうとしたり、財産を乗っ取ろうとしているかも知れませんから |
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利害関係者に対して自分の正当性を絶えず主張しなければならない | |
相手に軽んじられたり、だまされないためには自分に力のあることを絶えず誇示しなければならない | |
自分に自信のない人は相手に経済的利益を与え続ける必要がある | |
物質的欲望はとどまるところを知らない ・ 常に脅迫的に、「もっと、もっと」、「まだ、まだ」となる ・ 別の言葉で言えば「きりがなくなる」ということです ・ なぜ、そうなってしまうのかは私には分かりませんが、そうなってしまうのです ・ ここから欲望が手段なのか、目的なのかが見失われてしまうのです |
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絶えず相手を攻撃していなければ、安心できなくなる | |
自分の幸せは、相手より自分が優越することによってのみ可能となると考える ・ 競争や争いがすべての社会になってしまう ・ 絶えずプレッシャーにさらされる |
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相手をだますようになる | |
より多くの財産を手に入れるためには不正なことやるようにもなる | |
自分の成功は相手の失敗によってのみ達成できると考えがちになる |
このような生活では、心の安らぎは得られるのでしょうか。 気の弱い人はとても体が持たないと思います。 気の強い人でも、精神的なプレッシャーは相当なものと思います。 なにをしていても、絶えず相手の出方や心の中を気にしていなければならない生活は、地獄のような生活ではないでしょうか。 このような人の遊びは楽しむためではなく、現実から逃避する遊び、すなわち「気晴らし」にしかならないと思います。 楽しんでいても楽しめない。 いくら財産があっても、そのような人ひとはしあわせではないのです。 自分の財産を守るためには、いつも緊張しながら、なおかつ疑心暗鬼で生きていかなければならなくなるからです。
そのようなことの積み重ねが、人の心と体をむしばんで行くのではないでしょうか。