自分を受け入れられない、認められない

 自分で自分を受け入れられなくて、自分で自分を認められなくて苦しんでいる人も、大勢いると思います。 自分を受け入れよう、認めようとあせればあせるほどそれが出来なくなっているのではないでしょうか。 いまある自分を、すなわちありのままの自分を受け入れられないのは、どうしてなのでしょうか。 たったひとつしかない現実の自分を受け入れられないということは、現実の自分が理想とする自分の姿とはかけ離れすぎているからではないでしょうか。 現実と理想のギャップが大きすぎるのだと思います。 だから現実の自分に嫌気がさしてしまうのでしょう。 還元すれば、自信を持てないと言うことに尽きると思います。

  「自分はこんなはずではない」と思えば、現実の自分が受け入れられなくなって当然だと思います。 現実と理想が離れていれば、いるほど。

  そのギャップを埋めようとしても、どうしても埋めることが出来ないから、ますます自分を受け入れられなくなのだと思います。 自分のいまの能力では理想に到達することが、とうてい無理ならば理想を下げて考えれば良さそうなのですが、そうすると自分の評価や価値が下がると思って、それも出来かねているのだと思います。 私はどこかに「能力のある人は分からないことは分からないと素直に言える」と書きましたが、自分を受け入れない人はそれもできないのです。 「分からない」と言えば、それだけで自分のすべてが他人から認められなくなると感じているからです。

  自分で自分を認められない人は、他人に認められることによって自分の存在感を得ようとして八方美人になったり、自分の実力以上のことをしようとして失敗し、その結果ますます自分(自信)を失っていくのではないでしょうか。 要するに他人は、自分を受け入れるための道具や手段になっているのだと思うのです。 他人に認められよう、認めさせようとすることによってしか、相手に気に入られることによってしか、自分を受け入れてもらえないのだと勘違いしているのです。 多くの場合、他人に自分を理解してもらえることが少ないために、自分の存在基盤が薄くなり、自分を受け入れられなくなるのではないでしょうか。

  大切なことは他人に受け入れられることで自分自身を受け入れるのではなくて、他人に受け入れられなくても自分で自分を受け入れることです。 我を通そうとするから、他人に嫌われてしまうのです。 そして自分に自信をなくしていくのです。 私は「もっと自己主張をしなさい」と書いていますが、自己主張することは我を通すことではありません。 自己主張をすることと、それを相手に認めてもらうこととは別の問題なのです。 我を通すということは、相手に受け入れてもらわなければ納得しないことです。 相手に受け入れてもらえないことを受け入れさせようとして失敗し、自信を失うから自分を受け入れられなくなるのです。

  ものごとの出発点、基準は自分にしかないのです。

  自分を受け入れられなくなると、多くの場合相手に責任転嫁したり、相手を恨んだりしがちです。 そして自分の世界に閉じこもって社会との関連性を断ち切って、問題を解決しようとするから解決がますます難しくなるのだと思います。 この世の中は、どんなことでも自分一人だけで成り立っているのではないのに、他者との関連性を無視して自分を考えようとするから、適切な解決策が思い浮かばないのです。 社会との、人間との関わりの中で、いま自分がどのような立場になっているのかを見極める必要があるのです。 そのことを意識的、無意識的に避けて解決策を求めるから解決できなくて、ますます自信を失っていくのだと思います。 

  現実をありのままに見つめないで自分に都合のよいことばかり(いいことも、悪いことも)集めて、現実を曲解してしまうからいつまでたっても解決できなくなり、ついには自分をも受け入れられなくなると思います。 自分が苦しいときに、自分の立場や状況を把握することは難しいことには違いないのですが、このことなくして問題の解決はあり得ないでしょう。 だからますます人間不信がつのっていくだけなのです。 自分がいま苦しんでいるのは相手や社会が悪いというよりも、自分の考え方に問題があるのではないかと疑ってみてはどうでしょうか。 いままでとは違う考え方で考えるように努力してみてはどうでしょうか。 つまらない意地を張っていても、自分が苦しむだけなのです。

  いままでの考え方でどうにもならなくて苦しんでいるのですから、考え方を変えてみることが大切なのです。 できそうでできないことですが。

  自分の立場や状況も考えないで、自分に都合のいいことばかりを押し通そうとするから、苦しみや悩みから抜け出せないのです。 要するに、現実離れをしたやり方をしているということです。 自分ばかりを認めさせようとすれば、社会との軋轢が大きくなることは当然なのです。 どうにもならないことをどうにかしようとするから、おかしくなるのです。 自分の力ではどうにもならないことは、違ったやり方でアプローチしかないのです。 

  他人に認められるよりも先に、自分で自分を認めることが大切なのです。 他人は自分の目的を達成するための手段とは考えず、自分が他人のためになにかしてあげることができないかと考えることが必要なのです。 引きこもったりしている人は自分のことは念頭にあっても、それは自分の立場を考えているのではなくて、ただ社会や他人を恨んでいるだけではないでしょうか。 もしくは毎日が堂々巡りばかりしているのではないでしょうか。 自分が引きこもってしまったことの真の原因から目をそらして、責任転嫁をしているだけだと思います。 ものごとを考えてばかりいないで、他人の喜んでいる姿を見るために行動してみてはどうでしょうか。 そうすればきっとなにかが変わると思います。 その他人とは親であってもいいし、妻であってもいいし、夫であってもいいし、家族であっても、赤の他人であってもいいのです。 自分のようなものでも相手に喜んでもらえるのだと確認できれば、きっといままでとは違った考え方ができると思います。 

  先に他人に認められようと無理をするから、結局は自分で自分をも認められなくなるのではないでしょうか。 人の心は、本当に不思議にできていると思います。 たとえば相手に認められようとして嘘をつくようなことが、知らず知らずのうちに自分を嫌いになってしまうのだと思います。 

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