「切れやすい人」が増えてきたのは、なぜか

 最近「すぐに切れる人、切れやすい人」が多くなって、社会問題になっています。 なぜ、このような人が増加しているのかを考えたいと思います。

 切れやすい人が増えた理由として、遺伝的な理由、食べ物の偏食によるバランスの崩壊、精神的な問題と、いろいろな理由がとりだたされています。 たとえば、単に遺伝的問題としてみた場合、昔はなぜ切れやすい人が少なかったのか説明がつかないように思うのです。

 管理人が考える主な理由を列挙すると、

親、学校、社会が子供をしつけられなくなった
汗水を流して協力し合う機会が少なくなった (「ともに」という言葉が死語になってきている)
経済的に豊かになり、ほとんどすべてがお金で解決できるようになった
協力し合うことが少なくなった結果として、「思いやり」が薄くなった
遊びが室内中心の遊びになった (パソコンゲームのように)
抑圧の多い社会になった (感情のはけ口がなくなってきた)
時代の変化が早くなり、人の心がそれについて行けなくなった
価値観が多様化し、他人の考えが読めなくなった
いい意味での「相手の顔色をうかがう」といことができなくなった
多くのことを頭の中だけで理解するようになった
「自分の考えがすべてだ」と考えるようになった (利己的になった)

 私は切れやすい人が増えた最大の理由は、思いやりを持てなくなったことだと思います。 思いやりがなくなったということは、相手の立場でものごとを考える、協力してものごとを成し遂げるということが少なくなったということです。 競争社会という考えが、根底にあるのではないでしょうか。 言い方を変えれば、適者生存という近代科学の思想(ダーウィンの進化論)が根底にあると思うのです。 科学の枠を超えて、すべてのことに適者生存が持ち込まれたことに問題があると思います。 

 お互いに同じ目的を持ったもの同士が協力し合っていれば、自分たちのやっていることの大変さが分かるので、必然的に仲間意識が芽生え、簡単に切れて相手に迷惑をかけることなどできないからです。 それが人情というものではないでしょうか。 そう、人情味が失われてきているのです。

 それともう一つあげておかなければならないことは、パソコンゲームの普及だと思っています。 

 パソコンゲームは、あらかじめ起こりうることのほとんどがプログラムというかたちでインストールされています。 プログラムに書いていないことは、絶対に起こらないのです。 ここがキーポイントです。 プログラムされていないことは起こらないということがキーワードなのです。 現実は複雑怪奇であり、プログラムを書く段階では考えられもしないようなことが、日常茶飯事に起こることが問題なのです。

 パソコンゲームは、ただボタンを押して画面を選択していけばいいのです。 ここに問題の本質があると言ったら、言い過ぎになるでしょうか。 

 ゲームはボタンやスティックの操作が上達すれば、確実にそのうえの段階に進めるのです。 そして、同じ事を何度でも繰り返すことができるのです。 しかし、人生ではまったく同じように見えることでも、厳密に言えば同じということはあり得ないのです。 なんらかの条件が、その都度違っているのです。 言いたいことは、この両者の違いです。

 現実世界においては、まったく同じと思って決断したことでも、結果はその都度微妙にあるいはまったく違うのです。 ゲームの世界では「こうすれば、必ずこうなる」と決まっていますが、現実では「こうすれば、こうなる」ことは逆にきわめて少ないのです。 小さいときから「こうすれば、こうなる」の世界に慣れ親しんできたことが、現実にはほとんど通用しないのです。 予想外の変化には対応がなかなかできないのです。 そのような人が予想外の現実に直面したら、どうしたらいいのか分からなくなって、感情を爆発させることは当然起こりうることではないでしょうか。 なにしろ、そのようなときはどうすればいいのか、だれも教えてくれなかったのですから、感情を爆発させるしかなくなるのです。

 この間NHKの「クローズアップ現代」で、注意された人よりも注意した人が切れることが多いと、驚きを持って報道していました。 考えてみれば、これは現代社会では当然のことのように思われます。 利己的で(果たしてそうかは問題ですが)、自分は正しいことをしたんだと思いこんで注意した大人が、相手に無視されたり、予想外の反発をされたりすれば、注意した人はメンツを潰されたことになります。 このような事態に直面したときにどうすればいいのか、ゲーム感覚の世界では教えてくれません。 だから、切れてしまうのではないでしょうか。 この場合、両者とも大人になりきっていないと言うことでしょう。

 親が子育ての時点でものごとの善し悪しを教え込まなかったから、子供はなにをしても許されると勘違いしてしまったことも大きな理由のひとつだと思います。 社会にはルールがあるのだということを、親や社会は教える必要があるのです。 (でもいまは注意すれば殺されかねないですから、注意もできないのが現実ですね。) 親は子供の個性を伸ばすという口実(実際そう思っていたのだとは思いますが)で、子供にしたい放題をさせた結果が、切れやすい人のしゅつげんとなったのではないでしょうか。

 通り魔的な殺人や犯罪が多発していることも、このことと無関係ではありません。 世の中は、自分の権利だけを主張し、それだけを守ろうとする意識が強いうえ、自分をコントロールするということを学んでいないから、自分の感情をコントロールできないのです。 自分の感情の収まりを付けるには、感情の赴くままに感情を爆発させるしか方法がないのです。 これ以外の感情の沈め方を知らないのです。

 いろいろいなことを、汗と、涙を流しながら経験しさえすれば、これほどまで切れやすい人が増加することはないのです。

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