なぜ、むなしさだけが込み上げてくるのか

むなしい(空しい・虚しい)

からである
内容がない
充実していない
跡形がない
無駄である

  辞書を引くとこの他にも色々な意味がありましたが、人生を考える上での虚しさとはおおよそ上記のような意味で使われると思います。 虚しさとは「自分の存在の意味がなくなったこと」だと思います。

  人生が虚しくて仕方がないというときの「虚しい」という言葉には、様々の意味が込められていて言葉では適切に明することのできないことだと言えます。 理屈で理解する言葉ではなく、体験しなければ理解できない言葉のひとつだと思います。 人生には喜びよりも、なぜ「虚しさ」がつきまとうことが多いのでしょうか。 私は「自分の人生は虚しかった」と言えば、自分の心の傷を少しでも軽くできるからだと思います。 きつい言い方をすれば自分を騙して、安易な方向に逃げようとしているのではないかと言いたいのです。 人生を虚しく感じている人には、そのような意識はないと思いますが、無意識のうちの自分を見つめることから逃げようとしているのではないでしょうか。 逃げるから虚しさは倍加してくるのです。 虚しさに立ち向かう勇気がなによりも必要なのです。 つらいとき、苦しいときに人生に立ち向かう勇気を求めることは酷かも知れませんが、この勇気がなければ一生を苦しみの中で生きなければならなくなるのです。 自分の経験からは、そう断言できます。 いつかは、どこかで、勇気を持って人生に立ち向かわなければならないときがあるのです。 そのときは早ければ早いほどいいと思います。

  「虚しい」とは、具体的にどのような状態をいうかと言えば、

失敗したとき
失恋したとき
相手に裏切られたとき
自分を認めてもらえなかったとき
挫折したとき
無力感を感じたとき
競争に敗れたとき
自分の存在感を感じられなくなったとき
生きる意味が分からなくなったとき
努力が無駄になったとき
自分を信じてもらえないとき

  などを、あげることができると思います。 これらのことが重なればむなしさは、たとえようもなくつらいものとなります。

  なぜむなしくなるのか。 それは自分の過去との縁の切り方を間違ったからではないでしょうか。 具体的に言えば、過去のつらいことを人生の教訓として受け入れることができないこと、自分に誇れるだけの努力をしなかったこと、後で後悔しないだけの決断力を持てなかったこと、なにごとも中途半端に終わったこと、自分のできることをしなかったこと、自分の言うべきことを言えなかったこと、結果だけを気にしすぎて全力を出しきれなかったこと、そのような自責の念に駆られるから虚しくなるのだと思います。 現実から逃げようとするから虚しくなるのではないでしょうか。他人との比較でばかりものごとを考えようとするからではないでしょうか。 

 むなしいとは、いままでの自分の努力、夢、理想、希望、愛などがすべて絶たれた状態を言うのではないでしょうか。 挫折、不信、怒り、恨み、つらみ、絶望だけの世界だと言ってもいいのではないでしょう。

  「自分で自分を誉めてあげたい」と言った女子マラソン選手(だれだったか忘れてしまいました)のような人には、虚しさは無縁のものだと思います。 なぜなら、彼女は自分のなすべきことはすべてやり尽くしたし、その結果については満足して後悔することがないからです。 自分で自分を誉めてあげられないから、虚しくなるのだと思います。 後悔することがあるから、「むなしさ」がこみ上げてくるのです。 こんな立派なことを言っている私も、随分と中途半端な人間でした。 いまでもそうですが。 そんな人間だからこそ、これからの人には中途半端な人生は歩んで欲しくないのです。 その時々で全力を尽くすことです。 結果を先に心配しないことです。 結果を先に心配すれば、なにごとも消極的にならざるを得ないのです。 言い逃れを自分に許さないことが必要なのです。 自分を被害者に仕立てれば、自分自身を騙しても正当化できてしまうのです。

  虚しかったと考えれば、自分の心は少しは癒されるし、自己弁護(あまり努力しなかったかも知れないことを正当化できる)はできるし、つらさから逃げることができるのです。 それほど、現実から逃避しようとしている人が多いということではないでしょうか。 だから、人生によけいに虚しさを感じてしまう人が多いのではないでしょうか。 でも、虚しさからは問題はなにひとつ解決しないと思います。 問題はいつまでも虚しさの中で生きるのか、虚しさを乗り越えて生きようとするかだと思います。 虚しさの中から立ち上がった人は強くてやさしいひとになれると思うのですが、現実にはむなしさに押しつぶされてしまう人の方が多いようです。 過去の思い出などに生きる人、恨みに生きる人、復讐に生きる人などは後者の例です。

  そのときどきに充実感を持って生きることのできる人には、虚しさはないと思います。 挫折感はあっても、あまり時間をかけないで立ち直れるだろうし。 そのときどきを納得して生きている人にも、虚しさはないと思います。 自分の思うような生き方ができない、親に押しつけられた生き方しかできない、他人との比較ばかりが重要だと思って生きてきた、八方美人だった、周囲のことを絶えず気にしていた、相手に気に入られようとしてきた、そんな人は虚しさを感じないわけには行かないと思います。 なにしろ自分を生きてこなかったのですから。 

  自分が虚しくて仕方のない人は、いままでどんな生き方をしてきたかを考え直す必要があると思います。 その原因がおぼろげながらも意識することができれば、生き方が変わってくると思います。 虚しいという言葉の意味を考えてみれば、お分かりいただけるのではないでしょうか。 いつまでも虚しさに浸っていられるほど人生は長くはないのです。 

  一番重要なことは虚しいと言っていたずらに悩むことではなくて、その虚しさを人生の糧として将来にどのように活かしていくかということなのです。 でも、虚しさに浸っていれば、だれかなぐさめてくれる人がいるかも知れないので、虚しさに浸っていた方が楽でしょうけれども。 それでは決して自分でしあわせをつかむことはできないでしょう。 どっちを選ぶかは、各人の自由です。 お好きな方を召し上がれ。

  失敗を教訓として活かすことができれば(失敗は成功の元)、虚しさはそんなに続くことはないと思います。 いつまでも虚しさの消えない人は、過去の失敗を教訓にできないからではないでしょうか。 人生に失敗は避けられないとすれば、どうすれば失敗を将来に活かすことができるかを考えることが大切です。 いつまでも失敗を悔やんだり、恨んだりしても、苦しみが増すだけなのです。 気持ちを切り替えることができるかどうかが、将来を決めることになります。

  でも、むなしさから立ち直ることは、挫折や絶望から立ち直ることよりも大変なことだと思います。 むなしさとは、基本的には自分に対する無力感から来るものだからです。

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