過去を肯定して生きるとは

 私は過去を受け入れなければ(事実は事実として認める)、いつまでも自分が苦しまなければならないと言ってきました。 自分では分かったつもりで書いていましたが、今日(2001-04-16)突然まったく考えていなかったことが閃きました。 まさに閃いたとしか言いようがないのです。 そのことを書きます。

  私たちは多くの場合、

あのとき、あんなことがなかったなら……こんなことにはならなかった
あのとき、あのひとにさえあわなかったなら……こんなことにはならなかった
あのとき、あんなことをしなかったなら……こんなことにはならなかった
あのとき、あそこへ行きさえしなかったなら……こんなことにはならなかった
あのとき、もっと勉強しておけば……こんなことにはならなかった
あのにとき、あんなことさえ言わなかったなら……こんなことにはならなかった 
あのとき、こうしてさえいれば……こんなことにはならなかった
あのとき、はっきり断ってさえおけば……こんなことにはならなかった
あのとき、「好きだ」といってさえおけば……こんなことにはならなかった

と言って、後悔するのが一般的ではないでしょうか。 これが過去を否定すること、自分を否定することだと分かりました。 自分を受け入れるとは、自分の過去を肯定することと同じことです。 過去を受け入れるとは、過去の事実を自分の成長の反省材料にすることだったのです。 他の人には別の考えがあるでしょうが、私にはそう納得できたのです。 そして我々は、これらのことを引きずって生きることが多いと思うのです。

  これに対して、自分を肯定して生きるとは、上の言葉を引用して言えば「あのとき、あんなことがあったから、今の自分があるのだ」と言うことだと分かりました。 その他は言葉を入れ替えて読んでいただければ、分かってもらえると思うのです。  よくも悪くも「あのとき、あんなことがあったから、今の自分があるのだ」と、心の底から納得できること、これが過去を肯定して生きることだと今日突然確信できました。 

  今の自分があるとは、幸せな自分であることもあるだろうし、悩み苦しんでいる自分であることもあるのです。 

  私たちの人生は、「あのときあんなことがなければ、こんなことにはならなかった」と考えるのではなくて、「あのときあんなことがあったから、その分苦労もしたけれども、良くも悪くもいまの自分があるのだ」と認められるようになることこそが大切なのです。

  自分を肯定することが自分を受け入れることでもあるのです。 だから過去からなにかを学んで、過去のできごとを納得できなければ苦しみはいつまでも続かざるを得なくなるのです。 過去からなにも学ぼうとしないから、苦しみが続くのです。 過去はひとりひとりに必ずなにかを教えようとしているのです。 そのことだけは、分かって欲しいのです。 いいことも、悪いことも。

  心の底から、このように納得できれば一時的には落ち込んでもきっと立ち直れるはずです。

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