過去にはどんな意味があるのか

 私たちは自分の人生を振り返ってみて、「生まれ変われることができるなら、もう一度同じ人生を歩んでみたい」と言える人はどれくらいいるでしょうか。 私などは間違っても同じ人生を繰り返したいとは思いません。 そんな人生を歩んできたように思ってしまいます。 過去を引きずって苦しんでいる人は、多いのではないでしょうか。 「過ぎ去ったことはどうすることもできない」と分かっていても、思い出しては後悔にさいなまれることが多いものです。

 それでも、私は過去を引きずることがなくなりました。 どうして、私が過去を引きずることを止めることができたのかは、このサイトを読んでいただけば分かるのではないでしょうか。 いまだに、私が過去を引きずっていたなら、このホームページをつくることはありませんでした。

  一体、過去は人生にとってどんな意味があるというのでしょうか。 どうにもならないことに、どんな意味があるのでしょうか。 前置きを抜きにして言えば、過去は後悔するためにあるものではなく、将来のためにあるのです。 過去のいたらなかった点を反省して、これからは同じ失敗を繰り返さないための材料なのです。 過去を引きずっている人は、過去のできごとをいまの生活に活かすことができないから、引きずってしまうのです。 過去を引きずる人は、ただ自分を責めている、相手を恨んでいる、責任転嫁をしているだけではないでしょうか。 

  過去は決して人を絶望や苦しみの中に引きずり込むためにあるものではなく、反省して現在と将来に生き甲斐をもたらすためにあるのです。 そう考えなければ、生きていけないのです。 「過去にこだわりすぎるから、将来が見えなくなってしまう」のです。 

 これが「すべてのことは相対的だ」ということです。 このように考えなければ、過去を記憶するという人間だけにしか与えられていない能力の意味を、正しく理解できないと信ずるからです。 過去は、よりよい未来への必要不可欠なものなのです。

  過去は考えようによっては、両刃の刃になります。 過去にこだわって生きることがつらくなるか、過去を反省して楽に生きることができるようになるかです。 その分かれ目は、ひとりひとりがどの生き方を選ぶかにかかっています。

 このこの両刃の刃と言うことの意味は、恐ろしいまでに深い意味を持っているのです。 過去を自分にとって、プラスにするも、マイナスにするも、ひとりひとりの考え方次第なのです。 どちらと考えるかは、だれにも強制はされないのです。 自分で決めるしかないのです。

  勇気を持って、前へ進みましょう。 自分一人だけが苦しんでいるのではないのですから。 みんな、同じ問題で苦しんでいるのですから。

  もっと言えば、過去には決まり切った意味などはないと思います。 「ものは考えよう」と言うように、過去をどう解釈するかはひとりひとりの自由なのです。 あまりにも無責任な言い方に聞こえるはずだと思いますが、そうだと確信しています。 だから過去は考えようによっては、自分を苦しみ続けさせることにもなり、逆に反省の材料ともなり人を成長もさせてくれるのです。

人間には、「選ぶ自由」があるのです。

  過去(経験)からなにを学ぶのか、それはひとりひとりの考え方によって違うのです。 そしてその考え方の違いこそが、ひとりひとりの将来を決定するのです。

  過去に決まり切った意味があるのではなくて、過去をどのように理解するかこそに、人生の鍵が隠されていると確信できます。 「過去にどんな意味があるのだろう」とばかり考えてしまうから、なにも分からなくなってしまうのではないでしょうか。 過去に自分なりの意味を与えればいいのです。 恨みとして過去に意味を与えるのか、反省の材料として過去に意味を与えるのか、それだけが大切ではないでしょうか。 恨みとして過去に意味を与えれば、一時的にせよ自分の感情がいやされるので、過去に恨みの意味を与えることは簡単ですが。

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