自分の生き方は、どれだけの経験(過去)に裏打ちされているのか

 これから書くことは、いままで何度も言ってきたことの繰り返しになります。 (いつも、このようなことわりがついています。) どんな人にとっても、どんな状態にあっても生きることはつらく、苦しいことには変わりありません。 ただそのつらさの質と量の違いだけなのです。 そしてもうひとつ、自分以外の人のつらさや苦しみが、自分とは比較にならないほど小さなものに見えてしまうのです。 「隣の芝生が青く見える、他人の持ち物はよく見える」というやつです。

  では、そのつらさや苦しみの違いはどこから生ずるのでしょうか。 あたりまえのことですが、つらさや苦しみに対する自分の考え方、感じ方の相違なのです。 まったく同じつらさや苦しみであっても、人によって受け取り方が違ってくるのです。 なぜ同じ状況が人によって受け取り方が違ってくるかと言えば、性格の違いとそれまでの人生経験が違うからです。 「人間は環境の子である」という言葉もあるくらいです。 あなたがすばらしいと思う人が、なぜすばらしく見えるのでしょうか。 それはその人が自分の生き方に自信と謙虚さを持っているからではありませんか。 自信は自分の考え方が経験によって裏打ちされてこそ、本物の自信になるのです。 頭で理解しただけの自信は、もろいものなのです。 威張り散らしてばかりいるような人は、自分に自信がないから威張ることによって、虚勢を張っているだけなのです。 本当に自信のある人は次のようなことはしないものだと思っています。

必要のないことまで怒る
出しゃばる
他人の悪口を言う
秘密を漏らす
相手に恥をかかせる
礼儀を知らない、あるいは無視する
責任転嫁をする  (自分の責任範囲が分からない)
八方美人になる
その場しのぎをする
部下を自分の出世の道具にする
上司や取引先にはへつらい、部下には厳しい
利己主義者である
妥協するが、協調しない
完全主義者である
常識が分からない
決断力がない  (優柔不断である)
うそをつく
愚痴ばかりこぼす
自分の考えにのみ固守する
周囲の期待に過敏・過剰なまでに
気分転換が下手
過去にこだわりすぎる
ものごとの優先順位が分からない
相手の立場に立てない
なにごとも他人との優劣だけで考える
劣等感が元になって行動する (したいからするのではない)
学歴や社会的地位・名誉にこだわる
夢ばかり見ていて、現実を見ていない

ほかにもたくさん上げることができますが、これくらいにしておきましょう。

  あなたの周囲のすばらしいと思う人を観察していれば、上に書いたようなことが普通の人に比べて、ずっと少ないことに気がつくと思います。 逆にあなたがすばらしいと思えない人には、上に書いているようなことの多い人なのではないでしょうか。

  私たちが生きていくうえで心の支えとなるものが、その支えがどんなものなのかはあまり考えたことがないのではないでしょうか。 もちろんひとによって違いますが、

経済力
精神力
会社 (組織)
家族
友人
社会的な地位と名誉
知識
知恵

と、心の支えは人それぞれによって違ってくると思います。

  しかし、上記なようなことを支えるものがあるのではないでしょうか。 自分に対する自信と相手に対する思いやりが、必要不可欠だと思うのです。 本当に人の心を支えるものは、お金でもなければ、知識でもなく、まして社会的に地位や名誉ではないと思います。チャップリンは映画の中でこう言っています。 生きていく上で必要なものは、「愛と希望と少しばかりのお金が必要だ」と。 私たちが必要としているものは、お金だけに偏りすぎているのではないでしょうか。

  余談になりますが、この映画のタイトルは「ライムライト」です。 私はテレビではじめて見ましたが、涙が流れて流れて仕方がありませんでした。 本当にいい映画です。 この映画は人生の宝物になるのではないでしょうか。 レンタルもあると思いますので、ぜひ見てほしいものだと思います。

  自分自身に対する自信と、相手に対する思いやり(キリスト教で言う愛に近いものと思いますが)だと言えます。 このどちらが欠けても生きることがつらくなるのではないでしょうか。 両者のバランスが大切ではないでしょうか。 いま生きることが苦しくて悩んでいる人を観察してみれば分かると思います。 そして自分を振り返ってみることが、もっとも大切ではありませんか。 これは私自身に対する自分の挑戦でもあります。

 私は「魔法の言葉」というところで、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」から引用した言葉をそのまま乗せていますが、まさにその通りだと思います。 すべてに先立つものは相手に対する思いやりであり、次にその思いやりを支える自信ではないでしょうか。 それと同時に自分に対する思いやりだと言えます。 社会的名誉だけを追求して一流と言われるようになった人物が、自分の歩んできた人生を振り返って薄ら寒いものを感じたり、ときによっては「自分の存在は、一体なんだったのだ」と自問して自殺する話を耳にすることもあります。 その原因は周囲に対する思いやりが欠けていたからではないでしょうか。 私には、そんなふうに思えるのです。

 

  自分を支えるものは自分の心には違いありませんが、その心を支えるものがあるのです。 それが「思いやり」と「自信」ではないでしょうか。 いま自信をなくして生きることに苦しんでいる人は、このことを考え直してはいかがでしょうか。 いま自分が苦しんでいるのは親のせいだ、あいつのせいだと言って相手を恨んでばかりいませんか。 私にも経験のあることですから。 恨みの中からは生き甲斐は見つからなかったですよ。 相手に責任転嫁ばかりするよう中からも、生き甲斐は見つからなかったですよ。 相手に責任を転嫁して、相手を恨めば心の憂さははれても、問題は解決しませんよ。 自分に対する「戒め」として書いているのですが。

  この世の中には理屈や理性では証明できないことも多いのです。 生き甲斐を支える根本も、理屈や理性では証明できないものだと思っています。 「好きだから好きだ。 嫌いだから嫌いだ」、それはある程度は説明できても、「なぜそうなのか」突き詰めると説明が付かないと思います。 我々はもっと説明のできないことを、大切にする必要があると思います。 そのことが生き甲斐を支えてくれるのですから。

  「自分がいまのような状況になってしまうような決断をしたのはなぜなのか」。 そのことを考えることが一番大切です。 たとえば引きこもって苦しんでいる人は、親に受け入れられなくて、あるいはいじめにあって引きこもってしまったのかも知れませんが、大切なことはなぜ引きこもることを決断したのかと言うことです。 最初は単に相手に対する反抗として引きこもりを選んだはずなのが、自分の人生そのものになってしまったのではありませんか。 他にも方法があったはずなのに、なぜ「引きこもり」を選んだかということです。

  それは生きることに対する経験が足りなかったり、経験不足による判断ミスのせいではありませんか。 元来人生経験が未熟で判断能力が十分に育っていないので、一番安易と思われる方法を選択したことが、いまの苦しみの根本原因になってはいませんか。 人生における経験の意味は限りなく重要なのです。 「経験こそがすべて」と言い切っても過言ではないのです。 それなのにその大切なことから逃げてばかりいるから、いつまでたっても生きることが楽にならないのです。 私もいまでもそうですが、いやなことはなにかと理屈を付けて簡単に逃げる決断はできるのですが、いやなことに立ち向かう決断は難しいのです。 どうしても最初に頭に浮かぶことは、逃げることが先になってしまうのです。  ここで自分との格闘が始まり、このごろは逃げない道をいくらかでも選択できるようになってきました。

  結局はいままでにどれだけの人生経験を積んできたかが、その人の人生にどれだけの自信を持てるかのバロメーターになるのです。 経験を逃げているかぎりは、苦しみからは抜け出せないのです。 絶対にです。 苦しみから抜け出すためには苦しみを経験するしかないのです。 このことはとっても重要なことなのです。 あなたがなにか問題にぶつかったら、必ずこの言葉を思い出して欲しいのです。 このことさえ分かっていれば、悩みや苦しみに立ち向かう姿勢が違ってくるはずです。 逃げることができると思って逃げようとすることと、逃げてもいつかは同じような問題で苦しまなければならないと思うこととでは、悩みや苦しみに対処する姿勢がまったく違ってくるのです。 そして苦しみを経験する前とあととでは、人生を見つめる目はまったく違ったものになるはずです。 どうなるかは自分で体験して欲しいと思います。

  現実の裏打ちの少ない経験でのみ、世の中や活きることを決めてしまうから生きることがますます現実離れし、社会との摩擦を生じ、自分で自分の生き方を苦しくしてしまうのではないでしょうか。 もっともっと他の人の意見や生き方をみつめなおすことが大切ではないでしょうか。

  他の人の行き方を参考にすることは、心の弱い人には難しいことだと思います。 ただし、他の人の生き方をまねることは簡単ですが。 参考にすることと、まねることは似ているようなことですが、決定的に違うことだと思っています。

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