自分で自分の世界を狭めてはいないか

  私たちは生きることがつらくなってくると、考え方がどうしても消極的になってしまいます。 「これではいけない」と分かっていても、どうしても消極的になってしまうのです。 そこには自分ではどうにもできない、もうひとりの自分がいるのです。 生きているかぎりは、「分かっているのに自分で自分をどうすることもできない」ということが多すぎるのです。 その都度自分を嫌っていたら、命がいくらあっても生きていけなくなります。

  私はいたるところで「ものは考えよう」と言ってきましたが、つらくなるとものごとをいい方には考えられなくなるのです。 決して現実は悪いことばかりではないはずなのですが、積極的には考えられないのです。 たとえ積極的な考えが浮かんでも、否定的な自分がすくに顔を出して、積極的な考え方を否定してしまうのです。  自分で自分の考え方を狭め、自分の世界も狭めてしまうのです。 自分と社会との接点がどうしても見つからなくなってしまうのです。 自分は社会や家族や友だちから孤立しているとしか思えなくなるのです。

  「孤立」とは色々の意味がありますが、ここでは「自分と関係するものがないこと」という意味で使います。 似たような言葉に「孤独」という言葉がありますが、うまく説明ができないのですが意味は違うと思います。 孤独であっても、孤立することはないと思います。 人間は孤独なのですが、孤立した存在ではないと思います。 孤独と孤立を混同すると、生きることのつらさが随分と違ってくるように感じます。 「人間は孤独でも孤立した存在ではない」ということは、「自分は社会とはなんの接点もない存在ではない、社会と関係なしに生きているのではない」と言うことではないでしょうか。 自分と外の世界はなんの関係もないと思えば、つらくて生きていけなくなっても不思議はないと思います。 

  相手に依存して生きていればいるほど、自分が孤立することは恐ろしくなります。 相手に甘えていればいるほど、自分が孤立することは恐ろしくなります。 孤独に耐えられないから八方美人になったりしてしまうのです。 そしてますます自分という存在が希薄になってしまうのです。 自分を支えてくれる人やものが、存在しなくなってしまうからです。

  ものごとをどうしても積極的に考えることができなくなったら、どうすればいいのでしょうか。

  無理に自分の考えが積極的になるように、自分を追い込んでいけばいいのでしょうか。 私には、そうは思えないのです。 なぜなら、自分を追い込んだ考え方を積極的に変えることができればいいのですが、もし変えられなければ「やっぱり自分は駄目な人間だ」となって、ますます自信を失ってしまうからです。 

  では、どうすればいいのでしょうか。 私は次のように考えます。 長い人生には色々のことがあるのだ、いまの苦しさも長い人生の一場面だから、その場面が終わるのをあせらずに見つめよう。 そして立ち直ったときには、そのつらかったことから「なにかを学べればいいなぁ」と気長に待つしかないと思います。 こんなときにいろいろと考えても、いいことが思いつくことは少ないし、あせって行動しても失敗する確率が高いからです。

  観客席で自分が演じる演劇を見ているつもりになればいいのです。 そうなれるかどうかは、問題ですが。 ときには、自分を赤の他人として見つめることは重要なことなのです。 ときには自分を突き放してみることも、生きていくうえでは生きることを楽にしてくれるはずです。

  自分で自分がどうにもならなくなったときは、焦らないことです。 焦れば失敗すると思います。 焦るなと言われても、焦らないことは難しいことです。 自信を失っているときに、焦らないで耐えることは難しいことです。 でもそうして危機を一度乗り越えることができれば、その次に同様の目にあっても焦らないで済むはずです。 それが自信につながります。 そのことによって、自分を余裕を持って見つめられるようになり、最期には自信を回復できると信じます。

  「自分は決してだれにも必要とされない人間ではない、だれかが自分を必要としている」ことが分かれば、きっと生きる苦しみが癒されるはずです。 自分は社会とはなんの関係もない人間だと考えるから、自分の世界が狭くなるのです。

  私たちは苦境に陥ると、社会が冷たい、人間は冷たいと相手に責任転嫁をしますが、果たしてそれはどれだけの納得性があるのでしょうか。 本当に社会や相手が変わってしまったのでしょうか。 むしろ、自分の考え方が変わってしまっただけではないでしょうか。 自分の考え方が変わったために、すべてが変わって見えているのではないでしょうか。 そのことを私たちは意識していないだけだと思うのです。 ものの見方や考え方が変われば、すべてが違って見えるのです。 たとえ現実がまったく変わっていなくてもです。 現象が変わったのではなくて、自分の心が変わったのです。

  このことは、とっても重要なことです。

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