なぜ、世間体をそんなに気にするようになったのか
世間体 | … | 世間、世人に対する見栄、面目、かたち、ありまさ |
私たちが生活していく上において「世間体」といううことは、よかれ悪しかれ避けて通ることのできないことです。 世間体という言葉は、どちらかと言えばあまりよくない意味で用いられることが多いようで、いい意味に用いるときは「世間並み、人並み」という言葉が使われることが多いようです。 「よくない意味に用いられる」と「悪い意味に用いられる」とは、ニュアンスが少し違うので注意が必要でしょう。
世間体とは、一般的にいえば
人並み | |
常識的な範囲 | |
恥ずかしくない程度 |
などの生活全般に関することを指していると考えてよいと思います。 もう少し具体的にいえば
経済的に恥ずかしくないくらいの生活水準 ・日常生活のすべてを含みます |
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冠婚葬祭も心よりも見栄 | |
分不相応な住宅 | |
大学くらいは卒業しておかないと、世間に対して恥ずかしい | |
日本人の好きなブランド品志向 | |
人物を社会的地位や財産や出身校で評価する |
要は世間体を気にするとは、自分の価値判断の基準を自分自身に求めるのではなくて、他の人が自分をとのように評価するかに求めることからでてくるものだと思います。 人は他の人の評価を意に介さなければ自己中心的だと言われがちだし、周囲の評価を気にしすぎれば心の安らぎを得ることが困難になります。 自分に対して責任と自信を持つことができなければ、必然的に他の人の考え方や生き方を必要以上に意識した生き方をするしか方法はなくなります。 なぜなら他の人による自分への評価が、自分自身への評価となるからです。 分かりやすく言えば、他の人にどう思われるか、どう見られるかによって自分の決断を自分が決めるということです。 そして心の安住する場所がなくなっていくのです。
世間体には気にしなければならないこともありますが(苦にすることとは違う)、多くはあまり気にする必要のないことだと思います。 世間体も常識と同じく自分の価値判断の基準に照らして、一度は疑ってみることが重要なのです。 その結果、その世間体と言われるものが、自分が生きていく上で役に立つものだと思えば取り入れればよいし、自分の生き方にとってマイナスだと判断したら取り入れなければいいのです。 一般常識だという理由だけで、自分にとっても必要なものだと決めることはないのです。
ものごとはなにごともそうなのですが、価値判断の基準で大切なことは
自分にとってどのような意味があるのか | |
その結果が自分の周囲の人々に対してどのような影響を与えるか |
この二点だけです。 これ以外の基準はないと思います。 あまりにも単純すぎるので自分でも疑問を挟むこともあるのですが、よく考えてみるとこの二つしかないのです。 この二つのうちで圧倒的に重要な基準は、「自分にとってどのような意味があるのか、自分にとって役に立つのか」と言うことです。
くれぐれも間違わないようにして欲しいことは、他の人の価値判断の基準に照らして自分のなすべきことを決定してはならないということです。 このことは、悪い意味での自己中心的な考えや身勝手な行動とはまったく違うことなのですから。 日本人はこのことを誤解している人が多いように思われます。 ものごとを判断する基準を世間体や常識においてしまうと
心の安らぎは絶対に得られない ・得られたとしたら自分を偽っていると思います |
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自分の考えが常識からかけ離れると、自分がおかしいのではないかと自分を責めてしまう ・自分の方が正常なのにもかかわらず ・もちろん自分がおかしいことだってありですよ |
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他人の評価や考えが変われば(他人の価値判断の基準が変われば)、自分の考え方も同時に変えなければならず、絶えず他人の言動に振り回され続けることになる ・他人の動向を気にするという後ろ向きのことにエネルギーを費やすこととなり、前向きのことがおろそかになる |
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自分の長所まで捨てて、他人に合せることになる | |
相手に気に入ってもらおうとし、相手の機嫌をとるようになり卑屈になる | |
自分ではしたいことも、相手が気に入らなければすることができず、ストレスがたまる ・ストレスがたまればどうなるかは、分かり切ったことでしょう |
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本当の自分を表現できないので、だれから信用されなくなる | |
自己嫌悪・自己不信に陥っていく |
このようにものごとの判断の基準を他の人(自分以外)におくことは、自分で自分を殺すことになるのです。 もしこうなっていたり、このようになる可能性のある人は思いきって自分を正直に表現することです。 だれになんと言われてもかまいませんから、自分の心の内を素直に、静かにそして冷静に表現してみることです。 はじめのうちは足がふるえて仕方がないかも知れませんが、相手に馬鹿にされるかも知れませんが、自分を素直に表現することです。 そして表現し終わった後の自分の気持ちがどんな風に変わるかを、身を以て体験することです。 この後のことは、そうできた人だけに分かることです。
そうできた人だけが日常生活のすべての面において、心の負担や恨みなどが嘘のように軽くなるはずです。 なくなるとは言いません。 なくなる人もいるでしょうが、なくならない人の方が多いと思います。 でも心の負担は軽くなるはずです。 勇気を出して、そのようにできた人だけに味わえる特権だと思います。
こんな偉そうなことを書いている私自身が、身を以て味わってきたことです。 私のような者にもできたことは、だれにでもできるはずです。 決心ひとつです。 世間体を気にして、おどおどとした生活を続けたいなら今のままでかまわないだろうし、一度だけの人生だから生き甲斐を持っていきたいなら、どうしましょう。 一人一人の決断次第なのです。 どう決断するかは個人の自由なのです。 そう、この世の中は自由なのです。
私のいうことを納得できなければ、あなたの周りで世間体を気にして生きている人を観察すればずくに分かります。
「どこの大学くらいはでておかなければ笑われる | |
・ 実力のある人はいいですが、実力のない人が実力以上の大学を目指すことが、幸せなことでしょうか | |
冠婚葬祭には、これくらいつつまなければ恥ずかしい | |
子どもには世間に恥ずかしくないだけの結婚式をあげさせてやりたい | |
世間に恥ずかしくない会社に就職したい | |
試験で悪い点数をとったら、親が先生や世間に対して恥ずかしい |
このような言葉は、しょっちゅう聞かされる言葉だと思います。 そしてそう言っている人たちは、常に世間の評判やうわさを気にして、それによって自分たちのするべきことを決めているのではないでしょうか。 世間の評判ややりかたが変われば、自分たちのやりかたも変えなければならないので、いつも世間に目を光らせ、自分らしさを出すことができなくなってしまっているのです。 自分らしさを出せないことは精神的にいらいらするし、ひいては生活のすべてによくない影響を与えざるを得ないのです。
自分の生き方に自信を持つことが、どんなに大切なことか分かってもらえるのではないでしょうか。 自信を持つためには現実から逃げてはいけないのです。