周囲の人からよく思われようとするから、生きることがつらくなる

 この項目は「なぜ、八方美人にならざるを得ないのか」と同じような内容です。

 生きていくことはもともとつらいこが多いのに、「周囲のひとからよく思われよう(八方美人)」とすれば生きることがますますつらくなって当然だと思います。 以下でその理由を考えてみます。

  なぜ同じようなことをしつこく繰り返すかと言いますと、生きていく上においてそれだけ重要なことであり、しかも多くの人がこの蟻地獄にはまっていると思うからです。 あり地獄にはまっていながら、そのことに気がついていないことが、生きることをさらに苦しくしているのです。 かく言う私も、周囲からよく思われようと必死になって報われない努力をしてきた時代があったと思います。 そしてどちらかというと周囲からよく思われたと言えますが、当時は周囲からよく思われることによって、自分の大切なものを失っているとは考えも及びませんでした。 ここでも断っておきますが、「他人によく思われようとしてはならない」と言うことは、

自分のしたい放題、言いたい放題のことをしてもいいと言うとではない
相手の立場を考えなくてもいいということではない
利己的に振る舞ってもいいということではない
自分の利益のために相手を犠牲にしてもいいということではない
自分の本心を偽って相手のために尽くすということではない
相手の意見を無視してもいいということではない
相手の価値観に従えということではない

 ほかのところで他人の意見や噂や評判に不必要に振り回される人生が、自分の生き方をどんなに狭め、どんなに苦しくしてしまうかについて口を酸っぱくして強調してきたつもりです。 (他人の意見を無視してもいいと言っているのでなく、必要以上に気にするなと言っているのです。) ちょっと分かりづらいかも知れませんが、このことをぜひとも理解してほしいのです。 

 周囲の意見や噂や評判をあまり気にしなくなったときの、生きることの爽快さは経験したものでなければ分からないことと思います。 自分の生きたいように生きて、結果として周囲からよく思われることは理想的な姿ですが、最初から周囲によく思われるために努力することは最悪の形だと言えます。 なにがいけないのか。 周囲からよく思われようとすることは、多くの場合自分を偽ることが多く、自分を偽って生きることはストレスの原因となり、それは社会や相手を、あげくのはてには自分を恨むことにつながりやすいからです。 そして自信を失っていくのです。 

  はじめから、他のひとによく思われようとするのではなく、自分自身に正直に生きることが、他のひとによく思われるようになることが理想なのではないでしょうか。 自分を偽って周囲の人をしあわせにするのではなく、自分に正直に生きることによって周囲をしあわせにできればいいと思います。 そうすることが、生きることに生き甲斐と価値を与えてくれるものと信じます。 でもむずかしいですね。

  もう一度繰り返します。 他人によく思われようとして生きてはなりません。 結果として(自分に正直に生きることによって)、他のひとによく思われるような生き方が理想なのです。 他人によく思われるという結果は同じでも、動機には天と地ほどの違いがあります。 「最初に思いやりがなければなにごとも価値を持たない」と言う考え方に立てば、他人からよく思われようとすることは「思いやり」でもなんでもなければ、利己主義の最たるものではないでしょうか。 他人からどれだけよく思われるかが、自己満足の基準になっているからです。 たんに自己満足で終わる考え方の行き着く先は、ニヒリズムではないかということは別のところで書いたとおりです。 このことについては自信はありませんが、私にはそのようにしか思えないのです。

  いくら理屈をこねても、理屈をこねているだけでは現状を改善することはできません。 勇気を振り絞って、実行してみるだけです。 ここまでくると実行することを決断できるか、できないか、それだけが問題だと思います。 八方美人的な生き方が、どんなに自分の生き方をつらくしてしまうかを、よくよく考え直して欲しいのです。

 自分に正直に生きることで、結果的に周りの人々もしあわせになれる生き方が理想だと思います。 できそうで、できませんけど。

トップページへ戻る