建前しか言わない人、自分のことは言わない人

 世の中には建前ばかり言って本音を言わない人、自分のプライバシーに関することはほとんど言わない人も大勢いると思います。 このようなことがよいとか悪いとかの価値判断をする気はありませんが、なぜ建前しか言わないのか、なぜ自分のことは言わないのか、私にとっては非常に興味のある問題です。 人それぞれに考え方が違うので、一概にこれだと言うことはできませんが、あくまで理由の一つとしてこんなこともあり得るというように理解してください。 

たてまえ  …  だれも反論できない正論
原則

  「建前しか言わない、自分のことは言わない」と考えるのか、「建前しか言えない・自分のことは言えない」と考えるかによって、見方はずいぶん異なってくると思います。 多くの場合、私には「建前しか言えない、自分のことは言えない」と映るのです。 周囲の人を観察していると、そのように思える場面の方が多いのです。 この両者に共通して言えることは、自分に自信を持てないから原理原則しか言えない、本当の自分をさらけ出すと社会の評価が気になって仕方がない、自信不足(経験不足)なので臨機応変に対することができないということです。 このように考えると、分かりやすいのではないでしょうか。 

  できもしないような建前しか言えない人はつまはじきにされがちですが、見方を変えれば許してやれるのでないでしょうか。 「あの人は本心を言えなくて苦しんでいるだろうな」と思えば、あまり嫌う気にもならなくなれると思います。 このような見方をすると、自分の嫌いな人のことで、いつまでも悩むことがばかばかしくなると思います。 建前しか言えない人や自分のことを言えない人も、本心では本音を言いたいし、自分の悩みも聴いてもらいたいと思っているのではないでしょうか。 このような人たちは常に周囲に振り回されて生きていると思います。 周囲の意見に振り回されるから、ますます自分の考えを持つことができなくなって、悪循環を繰り返していると思うのです。 

  自分の本音を言うことができるようになれば、生きることが楽になるはずです。 このことは「言いたいことはなにを言ってもよい」ということではありません。 自分の発言や行動には、責任を持たなければならないのは当然です。 責任を持つのがいやだから、余計なことはしない、言わないということも多いですけれども。 本心を隠して生活することは、精神的にはとてもつらいことです。 周囲の価値判断に惑わされることがなくなれば、きっと自分の生き方に自信が持てて来るはずです。 ここで注意して欲しいことは、不必要なことは言わなくてもいいのです、必要なことまで言わないことを言っているのです。 不必要なことまで話す人は「おしゃべり」と言います。

  もっと言わせてもらえば、このような人は「弱さからくるずるい人だ」とも言えると思います。 このことが重要なことだと思います。

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