自己主張と押しつけがましさ

 相手に嫌われる理由のひとつに、「押しつけがましい」ということがあります。 「押しつけがましい」とは「相手に無理矢理させる」ということですから、嫌われて当然でしょう。 問題は、なぜ押しつけがましくしなければならないのかということです。 なぜ自分の言うことやすることを、相手にも同意させないと気がすまないのかということです。 押しつけがましさが原因で人間関係が壊れてしまったり、夫婦の間にひびが入って離婚ということも珍しくはないのです。 夫婦間のことであれば、毎日自分が好きでもないことに同意させられたり、あるいは意に反してさせられるのですから、心がやすらぐ場がなくなってしまいます。

  私は「自己主張はしなさい」とは言ってきましたが、「自分の意見を相手に押しつけろ」とは一言も言っていません。 自分の意見を言うことと自分の意見を押しつけることとは、似ているようでもまったく違うことのはずだからです。

自己主張とは、

私はこのように思う
私はこのようにする
私だったら、こう思う
私だったら、こうする
私は困っている
私はこう思うけれども、それは間違っていますか
私はこう思うけれども、同意できますか

押しつけがましいとは、

私はこう思うのに、なぜあなたはこう思わないのか
私はこうするのに、なぜあなたはこうしないのか
私は困っているのに、なぜあなたは助けてくれないのか
私はこう思うけれども、間違っていませんよね
私はこう思うけれども、同意できますよね

  このように両者は似ていますが、ニュアンスは微妙に違います。 その微妙な違いが、人の心には大きく響くのだと思います。 とくに夫婦のようにお互いに遠慮のない間柄にあっては、微妙な差の積み重ねがある日決定的な差になることがあります。 多くの夫婦が経験することではないでしょうか。 日頃気にもとめなかったことが、ある日突然夫婦関係に決定的な影響を与えてしまうことがあるのです。

  なぜ押しつけがましくしないと気がすまなくなったのかは、ここでは簡単に触れます。 それは、次のような原因があると思います。

他人に優越しているところを見せたい
自分に力があることを誇示したい
自分の劣等感を隠したい
相手に自分を認めさせなければ気がすまない

  一口で言えば、自分の存在を相手に認めてもらわなければ自分自身という存在が持たないからではないでしょうか。 自分に自信がないのに相手に認めてもらおうとするから、自分を相手に押しつけなければならなくなるのです。 本当の意味での自分がないということです。

  押しつけがましさはお互いに遠慮のない間柄では、無意識のうちに起こりがちです。 夫婦の間にあっては、妻が夫に押しつけがましくなりがちです。 (理由は省略します。) 遠慮がないだけにきわどいことも、起こりがちです。 そのようなことの積み重ねが家庭で夫の心の安らぎを奪うことも、珍しくはないのです。 妻は自分が押しつけがましいということは意識していないので、相手を責めるばかりになってしまいます。 そのようなことが原因で離婚になることも珍しいことではありません。

  なにごとでもそうですが、無意識に行われていることが意識されるようになることは、事態が悪化しているということです。 日頃から、お互いに思いやることが大切だと思います。 思いやっていると思っていることが押しつけになることもありますから、始末が悪いのです。

  自信のある人がいつも頭が低く、多くの人に好感を持たれるのは自分を相手に押しつける必要性がないからだと思います。

 自信のある人にとって、「押しつけがましい」ということは無縁の存在なのです。 なにも相手に押しつけなくても、自分の存在が揺らぐことがないからです。

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