自己主張とは、どんなことか

主張  …  いつも持ち続けている意見、持論
また、それを強く言うこと
自分の説を言いはること

  この項目は、「もっと自己主張しよう」とほとんど同じ内容です。

  自己主張という言葉は、一般的に日本人にはあまりよい印象を与えません。 (なぜなのかは、文化の問題ですからここでは書きません。) 察するところ、主張という言葉の意味がよく理解されていないからだと思います。 辞書には第一義的な意味としては「いつも持ち続けている意見、持論」とあり、第二義的な意味として「自分の説を言いはること」となっています。 ところが実際には「自説を言いはること」が第一義的にとらえられており、「自分の持ち続けている意見、持論」と言う意味はかすんでしまっているのです。 

  主張とは、「自分はこのように考える、自分はこのように思う」ということを自分の意見として発言することであって、相手に理解してもらうとか、相手を納得させるということとは必ずしも一致しないのです。 日本人は多くの場合、主張するということを相手と勝ち負けを争うことと混同していると思います。 主張とは、ことの正否や勝ち負けを争うことではありません。 議論で相手を言い負かすことが、自己主張と思っているふしがあります。 結果として正否や勝ち負けがでてくることは当然ありますが、正否や勝ち負けをつけることが目的ではないのです。 お互いに足りないところを補い合って、よりよくするために主張し合うのです。

  自己主張を相手と勝ち負けを争うことだと勘違いするから、感情的な対立も生まれ、そこから人間関係にもひびが入ってくるのです。 自己主張とは、あくまでも自分の考えを相手に理解してもらうことなのです。 理解してもらうとは、相手が受け入れることではなくて、論理的に「そういう考え方もあるのだな」と分かってもらうことです。 自己主張が勝ち負けを争うことだと考えるから、相手をやっつけなければ気が済まなくなるのです。 人間関係が気まずくなるだけなのです。 だから、相手の立場を必要以上に考慮してしまうのではないでしょうか。 日本人が自己主張の下手な理由はこのあたりにあると思います。 「和」を重視する日本特有の考え方からすれば、人間関係を気まずくすることは、なんとしても避けなければならないことです。 そのためには自分の意見が正しいと確信していても、ときとしては発言を控えて全体の和を優先することもあるでしょう。 そうなるとせっかくのすばらしい考えも日の目を見ず、全体の利益が損なわれることにもなりかねないのです。

  自己主張をすれば人間関係が気まずくなると考えている人は、自分では意識していなくても勝ち負けを争っている人です。 仕事で自分の提案が却下されると、自分の人格を無視されたと考えてしまうのでしょう。 確かに日本人にはこのような考えが根強くありますが、そろそろこんな考え方から抜け出してもいいのではないでしょうか。 自分の意見が却下されることは、自分の人格に傷を付けられたことにはならないのです。 決しておもしろいことでないことは、確かですが。 自分が勝手にそう思いこんでいるだけなのです。 そう、思い込みの世界なのです。 簡単に割り切れることではないのですが。 

  よく私たちは「誤解された」と言って憤慨することがありますが、そのような人は自分の考えをはっきりと発言しているのでしょうか。 日本人は自分の考えをはっきりさせないことを美徳のひとつと考えてきましたが、これでは誤解が生じない方がおかしいと思います。 自分の意見を明確に発言もしないで、誤解されたと憤慨するのは、自分で一言も発言しないで「俺の考えていることを当てて見ろ」と言っているのと同じことではありませんか。

  世の中は絶えず変わっているのですから、もう少し自分というものを前面に押し出すことが必要だと思います。 そうすることによって自分を理解してもらえ、誤解も少なくなり、コミニュケーションもスムーズになって人間関係で余計な気を使うこともぐんと少なくなることは請け合いです。 とくにスピードが重視される社会では、ひとつの誤解がすぐに別の誤解を生み、起こさなくてもいいトラブルが発生することは十分に予想されます。

  いままでの日本人的な感覚を見直す時期にあると思います。 お互いに自分の意見をもっとはっきり言うべきだと思います。 仕事や個人的なことにおいても、誤解を生じないように明確に話し、相手の意思を確認しながらものごとを進めることが大切だと思います。 「腹を読むとか、あうんの呼吸」といったことは、いまの社会には向かなくなったのです。 言葉に発せられたことでしか、理解できなくなっているのです。 相手の言ったことを確認するというと、相手に失礼なようにも思うこともありますが、誤解や思い違いによってトラブルが発生することを考えたら必要なことでしょう。 「転ばぬ先の杖」ということわざもありますね。 自分の常識が相手にも通じる時代は終わったのです。 自分と相手の常識は違うのです。 よく言えば価値観が多様化してしまったのです。

  自信のない人ほど自分の意見をはっきりと言わない傾向にあります。 責任逃れをするためには、常に逃げ道を用意しておく必要があるからです。 このような人と交渉するときには、細心の注意を払う必要があります。 自信のない人は必ず逃げ道を用意しますので、そのような罠にはまらないようにすることが自分の身を守ります。

  自己主張をするときに最も注意すべき点は、感情的にならないことです。 感情的になったら、勝ち負けを争っていることになります。 主張するときは冷静で、しかも論理的に話すことが求められます。 難しいことなのですが、これができるとできないでは人間としての幅に大きな差がでてきます。

  このことに関連して、よく外国人とくにアメリカ人が口に泡を飛ばし合いながら議論や交渉をし、話がまとまるといままで何ごともなかったかのように握手をして、和やかに談笑している場面を見ると不思議に思いませんか。 映画の世界だけかな。  彼らには議論や主張をすると言うことが、どんなことかが分かっているからだと思います。 お互いの本音をぶっつけ合うことによって、相手の考えていることが理解でき、なにが自分たちの利益で、なにが相手の利益になるのかがはっきりするからだと思います。 お互いに相手の立場が理解し合えるのだと思います。 よくも悪くも誤解の生じる可能性が、日本人よりはずっと少ないのです。 どうしても自分の利益にならないと思えば、その理由を言って交渉も簡単に事務的にうち切ってしまうのです。 義理人情と仕事の区別ができているのです。 日本人にはこの区別が難しく、本音もお互いに分かり合うことが難しいのです。 なにしろ自分の考えをはっきりとは言わないことが美徳なのですから。

 もっと自分の立場を明確にしましょう。 そうすることが生きることを楽にするのです。 嘘ではありません。 嘘だと思ったら、ぜひ試してみてください。

  「自己主張する」とは、自分の主張の正当性を貫くことを主眼とするものではなく、自分の意見を言うことです。 このことは忘れてはならないことのはずです。 勝ち負けを争うことだと考えるから、人間関係がこじれてしまうのです。

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