だから、自己主張が必要になる
「自己主張しなければどうなるか」と書きました。 ここはその続きです。
広い意味での自分を守るための自己主張をしなくなること、あるいはできなくなることは最期には自分の生き方を苦しくしてしまうのです。 八方美人になれば表面上は相手から自分を認めてもらえ、自分の心は安らぐかも知れませんが、そんなときは一時的に過ぎません。 そのあとに待ち受けているのは、自己嫌悪と自己否定と不安だらけの世界なのです。
もうち度繰り返します。 八方美人になったあとに待ち受けている世界は、
自己嫌悪の世界 | |
自己否定の世界 | |
不安だらけの世界 | |
自分の居場所のない世界 |
こんな世界しかないのです。 八方美人には決して明るい世界はないのです。
自分の生き方を明るく、意味のあるものにするには、自分なりの生き方をするしかないのです。 言い換えれば自己主張をするしかないのです。 生きていくうえで争いごと、嫌なことは避けられなのですから、そににしっかりと対応する方法を身につけるしかないと確信します。 それができれば苦しみや悩みはずっと少なくなるはずです。
いま生きることがつらくて仕方のない人は、もう一度考えてみて欲しいのです。 自分なりの、自分にあった生き方をしているかと。 妥協することからは、決して生き甲斐は生まれてこないのです。 協調できれば、生き甲斐は生まれてきます。 協調するためには、現実をしっかりと見据えなければならないのです。 現実をごまかしながら、協調することが妥協ではないでしょうか。
心が弱ければ協調することはむずかしいのです。 協調できるためには、自分なりの考え方と生き方、そして自身がどうしても必要なのです。 妥協するためには、なにも必要ではないのです。
これはどこかのページにも書きましたが、自己主張の苦手な人は日常生活のささいなことで訓練していくことです。 相手は家族でもいいし、友達でもいいし、とにかくあまり気を遣わない相手からはじめてみてはどうでしょうか。 もちろん、そんなことのなかにもいさかいや意見の相違によって人間関係がぎこちなくなることもあるはずですが、そんなときこそ訓練の絶好のチャンスと考えることです。 そのようなことさえ逃げていたら、ますます自分がつらくなるだけですから。
人生という、オーダーメイドの服装をすることが大切なのです。 人生という既製服を着ているから、なにかがしっくりこないのです。