本当の自分を表現したら嫌われるか

 インターネットで悩み事相談をみていると、次のような声が多く聞こえてきます。

本当の自分を表現できない
相手にどう思われるかと想像すると自分の意見が言えなくなり、つい相手に合わせてしまう
いつも相手の顔色をうかがってしまう
自分を変えたいけれども変えられない
やる前に悪い結果ばかり想像してしまい、恐ろしくてなにもできない
親の意見に逆らえない
反論されるとすぐに自分の意見を撤回してしまう

  これらの意見の原因はすべて同じところにあると思います。 ここでは「なぜ本当の自分を表現できない」のか、「本当の自分を表現したら、自分はどうなる」のかについて考えてみたいとおもいます。

  第一に「本当の自分を表現したら、本心を言ったら、本音を言ったら自分はどうなるのか」について、考えてみたいと思います。

  本当の自分を表現しなければどうなるのかと言えば、

精神的に不満や恨みがたまる
       ・ 相手や社会を逆恨みするようになる
       ・ いまの社会にはこの種の逆恨みによる犯罪が蔓延しています
常に本心を抑圧しているので精神的にいらいらしたり、ひどければ不安定になり精神症になりやすい
本当の自分が自分でも分からなくなる
相手から見るとなにを考えているのか分からないので、本当の信頼関係ができない
       ・ このことは重要だと思います
敵も少ないかも知れないが、それ以上に味方ができない
       ・ なにを考えているか分からない人の味方になる人はいない
       ・ 相手がなにを考えているかが分かるからこそ、敵もできれば、味方もできるのです
常にあいての動向を気にせざるを得ない

  要するに、自分の気持ちが安らぐ場や、心がいやされるということがなくなっていかざるを得ないのです。 いま「癒し」が問題にされているのには、このような理由があると思っています。 「癒し」といわれる問題は、人間のあり方に関する危機の現れなのです。 癒しの問題については別に取り上げたいと思います。 ここで注意して欲しいことは、「本当の自分を表現しなさい」というと、自分の言いたいことはなんでも言ってもいいと誤解しないで欲しいということです。 本当に自分の考えていることを言うことと、言いたいことを言うこととはまるで別のことだということです。 我々は往々にしてこの両者の区別をわきまえていないことが、誤解を招く原因になるのではないでしょうか。 とくに感情的になったときは心すべきことです。   

  なぜ本当の自分を表現できないかと言えば、相手に嫌われることが恐ろしい、相手に見捨てられることが恐ろしい、本当の自分の姿を知られることが恐ろしい、恥ずかしいということでしょう。 突き詰めれば、自分に自信が持てないから本当の自分を表現できなくなるのだと思います。

  次に本当の自分を表現し始めると、どうなるでしょうか。

「あいつは、このごろ変だ」としばらくの間は奇異の目で見られるでしょう
       ・ これさえも恐ろしいことかも知れませんが、ここで挫折してはどうにもならなくなります
いままであなたにやさしくしていたり、あなたを引き立ててくれていた人が急に冷たくなったり、邪魔者扱いするでしょう
あなたを敵に回す人が多く出てくるでしょう
新たにあなたにちかづいて来る人もでてくるでしょう
あなたには本当の自分を言えたという自信が湧いてくるでしょう
次の段階として、相手や社会を逆恨みすることもなくなるでしょう
閉じこもり現象もなくなるでしょう
積極思考の人間になっていくのが実感できると思います

必ず仲間が増えていくことでしょう
       ・ いい意味で「類は友を呼ぶ」ことになります

  本当の自分を主張し始めると、いままで自分にやさしくしていた人がなぜ急に冷たくなったり、あるいはあなたを邪魔者にしだすこともあると思います。 みんながみんなではなく、数のうちには必ずそのような人も出てくるという意味に理解してください。 そのような少数の人との人間関係が、悩みの種になってくるのです。 そのような人にとって本当は友達ではなかったのに、あなたは勝手に本当の友達と思い込んでいたのです。 あなたはその人にとっては都合のいい人、利用価値のある人だったのかもしれません。 あなたがそれを止めようと決心すれば、その人にとってあなたは利用価値のない人となり、急に冷たくなったり、あなたを邪魔者にしても当然だと思います。 このような状態はむしろ歓迎すべきことと思います。 なぜなら、あなたは弱い自分から抜け出そうとしている証拠だからです。 このようなことを恐れていては、自分を変えることはできないと思います。 

  あなたを敵に回す人がでてくれば、それもあなたが強くなろうとしている証拠のひとつです。必ずトップページへ戻るは言えませんが。  世の中の人みんな同じ考えではなく、各人各様に違うのです。 相手に嫌われないために相手の考えに合わせていたのが、それをやめて自分を主張するようになれば、相手にとってはあなたは利用価値がなくなり邪魔者にしかならないのです。 自分の意見を明確にすることは敵をつくりもしますが、逆に同調者や味方をもつくることなのです。 その人がなにを考えているかが明確であれば、信頼もされます。 相手に合わせてばかりいる人は、決して信頼されることはないのです。 「味方を欲しければ、まず敵をつくれ」、これが私のモットーのひとつです。 敵をつくりたくて敵をつくるのではなく、自分を理解してもらうためには反対者でてくるのは避けられないのです。 と言うよりは、自分が強くなるためには、自分に反対する人がでてくることが避けられないのです。 最初から敵をつくろうとして敵をつくることは、問題外ですが。 

  この世の中で自分らしく生きていくためには、結果的に敵ができてしまうことは避けることのできないことです。 私はそう確信しています。 その避けることのできないことを避けようとするから、本来であればあまり苦しまなくてもいいことで苦しむことになるのではないでしょうか。 この場合の敵とは意見を異にする相手という意味です。 感情的な対立と意見の対立は峻別して考えないと、これもよけいな苦しみの原因になってしまいます。 この件に関しては「協調と妥協」を参考にしてください。 意見のことなる者同志でも、協調することができるはずです。 しかし感情的に対立しているもの同志には、協調はありませんし、妥協も成り立たないのです。 このようなもの同志が一緒に仕事をしたり、つき合っていこうとするから人間関係が複雑になってしまうのだと思います。

  人間関係で悩んでいる人にとって必要なことは、自分がどのような生き方をしてきたか、これからどのように生きていけばいいのかを考えることが大切だと思います。 相手に責任を押しつけたくなる気持ちは十分理解できますが、それでは問題は解決しないのです。 なにひとつ解決しないのです。 必要なことは自分をすなおに表現する勇気ではないでしょうか。 この勇気がなければ、いまの苦しみは続かざるを得ないのです。 自分に自信を持つことが必要なのです。 そのためには自分なりの考え方(人生観、人生哲学)を持たなくてはならないのです。 これはテクニックで解決できる問題ではありません。 毎日の経験を通して痛い目に遭いながら覚えていくことなのです。

  自分に自信をつけるには、毎日のささいなことの積み重ねしかないでしょう。 

  人間関係に行き詰まったら、自分の気持ちを相手にすなおに話してみることが、問題解決の近道かも知れません。 逆にあなたから離れていく人も出てくるでしょうが、そのような人はあなたの人生にとって元々必要ではなかった人なのです。 いままでは必要な人だと思っていたかも知れませんが。 お互いに話し合えば、思わぬ解決策が見つかるかも知れません。 一番悪いことはなにもしないで、自分の殻に閉じこもって悩むことです。 自分の感情をいつまでも押さえつけ過ぎると、精神症になったり、爆発して自分でも考えていなかった事件を起こす可能性もあります。 これを書いている現在進学高校の模範的な生徒が65才になる女性を殺害した事件が起こりましたが、彼も周囲の期待に応えすぎようとして自分を抑圧し、その結果爆発したのではないでしょうか。 理由は「ひとを殺す経験をしてみたかった」ということだそうですが、ものごとは頭で考えすぎることの恐ろしさを表しているように思います。 人間は体で覚えること、頭で理解するのではなく、体で納得することの大切さを考えずにはいられません。 

  みんなから好かれよう、信頼されようとしていませんか。 そんなことは土台無理なのです。 できもしないことのために無駄とも思える努力をしようとするから、自分が精神的にすり減り、肉体的にぼろぼろになってしまうのではないでしょうか。 意識的に好かれようとすることには私は反対です。 結果として好かれることが必要なのです。 自然に振る舞うこと、ありのままの自分を受け入れてもらうことが、なによりも必要なのです。 意識的に好かれようとすることは、多くの場合本心を偽ることになるからです。 本心を偽るから生きることが苦しくなるのではないでしょうか。 世の中にはできることと、できないことがあるのです。 自分にとってできることと、できないことの見極めをつけることが大切だと思います。 見極めをつけることは最初からあきらめることとは違うのですが、難しい問題には違いありません。 ここではこれ以上言及しません。

  我々は役者ではないのです。 舞台のうえで、自分とは異なった役を演じているのではありません。 この世の中にたった一人しかいない、自分という役を演じているのです。 だれのためでもない、自分のためにです。

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