「ノー」と言える人は信頼できる確率が高い

    私は、これまでに口が酸っぱくなるほど「自分の意見を明確に主張しなさい」と言ってきました。 ここでもう一度確認しておきますが、自己主張とは

ことの成否・善悪を決定することではない
いわんや相手と議論で勝ち負けを争うことでもない
いいたいことを言い合うのでもない

自分の言いたいことを、相手に理解してもらうことです
        ・ このとき相手に納得してもらえれば一番いいのですが、相手が納得できなくともかまわない
        ・ どこかに書いたと思いますが、理解と納得は違うのです
        ・ 無理に納得させることは押しつけであって、相手に負けを認めさせることにもなります
        ・ 主張が勝ち負けで終わったときは、それは主張とは言わず、相手を「言い負かした」と言います
        ・ 自分の言いたいことがどんなことなのかを理解してもらえれば、主張の目的は果たしたのです

  ここで誤解してもらっては困るのですが、「ノーと言える人は信頼できる」と言っても、次のような考えでことわる人は利己的な考えでことわっているのであって、ここでは問題外のことです。

自分がしたくないという理由だけでことわる
どうして自分がしなければならないのか、だれか別の人にさせればいい
お金にもならないし、なんの得にもないからしたくない
疲れているから
        ・ このようなことを理由にしたらだれでも疲れているのです
        ・ たいして疲れてもいないのに、疲れているという人は多いと思います
              § そんな人はしたくないから、疲れを理由にしているだけです

 このような理由でことわる人は、だれからも、いつまで経っても信頼を得ることはできません。 なぜなら利己主義的だからです。 あなたは利己主義的な人は好きですか、それとも嫌いですか。 そんなことは聞くだけ野暮というものですね。

  ここで「ノーと言える人は信頼できる」というときの、ノーという理由とは次のようなことを指しています。 自分にことわるべき正当な理由があってことわることを言います。 自分がしたくないからとか、他のだれかにさせたらと言うのはことわるべき正当な理由ではなく、単に利己的なだけだと言えるのではないでしょうか。

本当に相手の望む期限まで責任を持って達成できる自信がない
自分には頼まれたことを達成する知識がない
本当に経済的な余裕がない
他に適任者がいる
        ・ こんなときは適任者を教えてあげればいいのです
自分の主義・主張と矛盾することを頼まれた
ここで引き受けることが相手のためにならない
        ・ 自分が引き受けてやることはできるが、いま自分がしてあげると相手に甘えの精神を起こしてしまうようなとき
        ・ 長期的に考えて相手のためにならないと判断したとき 

  このような理由で相手の申し出をことわることは必要なこともあるのです。 例えば、相手の望む期限までにできないことが分かっていて引き受けたとしたらどうなるでしょうか。 (その理由は前にも書いたように、相手に嫌われることや捨てられることが怖くて引き受けてしまうのです。) 頼んだ相手は、期限までに当然できるものとして予定を組むでしょう。 それができていなければ、相手に多大の迷惑をかけることになります。 仕事上のことであれば、自分や会社の信用を失い取引停止になることは十分に予想されます。 自分ができもしないことを引き受けるということは、無責任極まることであって、その結果として信頼されなくなることは当然すぎるくらい当然なことなのです。 

  こういうのを自分勝手というのです。 自分が嫌われることだけが怖くて、相手にどれだけの迷惑がかかるかも考えないで行動すること(ここでは相手の頼み事を引き受けること)を、利己主義と言わないでなんと表現すればいいのでしょうか。 だから正当な理由があって相手の頼み事をことわることは失礼でもないし、身勝手な行動でもないのです。 相手のためを考えて断ったのですから。 むしろできもしないことを引き受けることが失礼に当たるのです。 

  相手が困って自分に頼み事をしているのに、相手の申し出を断ることはつらく、勇気のいることなのです。 だからこそ勇気のない人は、つい引き受けてしまうのです。 だれにもいい顔をしたいから、引き受けてしまうのです。 引き受けてしまってから、「しまった、 引き受けなければよかった」と後悔しても遅いのです。 私はそんなことの典型的な例でした。 できもしないことを引き受けて一人で苦労して、みんなに迷惑をかけて、自分の評価を下げていたのです。 会社などで自分の評価を下げるのも、あげるのも自分だということにずっと後になって気がつきました。 上司や同僚や部下が自分の評価を決めるのではなく、自分自身が自分の評価を作り出しているのです。

  「ノー」と言える人は信頼できるとは、このようなことなのです。 自分の言動に責任を持とうとするからこそ、断るのだということを知って欲しいのです。 このようなことは決して自分勝手な人でなく、心の弱い人でもなく、信頼できる人なのです。 好きとか嫌いとかとは、まったく別の問題です。 むしろだれが考えても嫌なことを、いやな顔もしないで引き受けてくれるような人こそ注意した方がいいのではないでしょうか。 意地が悪い見方ですが。 このような悪人でもない、小心者に足下をすくわれないように注意すべきだと思います。 そんなときは自分は「人を見る目がなかった」と言って、笑って過ごせるならかまいませんが。 相手が悪い人でないからと言って、自分が生きていくうえで妨げにならないとは言い切れないのが、悲しい現実です。

    ひとつ言い忘れたことがあります。 サラリーマンの社会で、上司には「ノー」と言えなくて、部下の建設的な意見にも平気で「ノー」と言う人は問題外の外ですよ。 話にもならないと言うことです。

トップページへ戻る