自分の権利や人格を侵害されたら黙っていてはならない

 これは読んで字のごとしです。 自分の大切なことが他人によって侵害されたときに、自分はなにもできずに黙って相手のなすがままになってしまうから、そんな自分が嫌になり、ひいては自信を失ってしまうのです。 それと同時に、相手はあなたが何を言われても反論もしない人間だと思えば、ますます調子に乗ってくるだけなのです。 私は何度も「人生には逃げてはならないときがある。 どんなにつらくても恐ろしくても対決しなければならないときがある」と言ってきました。 そんなときに逃げ出してしまうから、あるいはなにもできないで相手の言うがままになってしまうから、自信を失ってしまうのです。

  いまつらい思いをしているひとは、自分のことに置き換えてもらえば、きっと「あのときに自分は言うべきことを言えなかったから、なすべきことをしなかったから自信を失ったのだ」と思い当たる節があるのではないでしょうか。 そんな自分を嫌になったことが、いまの自分を苦しめているのではないでしょうか。

  自分の大切なこと、大切なもの、大切な人を踏みにじられたときは、黙っていてはならないのです。 自分の意見や思っていることを相手に伝えなければならないのです。 伝え方は、そのときどきによって方法は様々だと思います。 伝え方が分からなくて黙ってしまうということもあるでしょうが、とにかく相手に自分の思いを伝えることです。 そうしないと「あいつはなにを言っても、なにをしても黙っているやつだ。」となり、ますます相手の言うがままにされるだけなのです。 相手に利用されるだけなのです。

  人間関係によけいな波風が立たないようにすることは大切ですが、ときによっては黙っていてはならないこともあるのです。 そんなときに黙ってしまうから、相手にいいように扱われてしまうのです。 

  大切なことですが、人間関係をスムーズにするためには争うことも必要になるのです。 争わなければ人間関係がスムーズになるとは、単なる迷信であり、日本人同士では通用するでしょうが、世界では通用しないのです。 自分を守るためには、闘いも避けられないことがあるのです。

 争うと言って語弊があるなら、議論しなければならないと言い換えます。

  一概には言い切れないのですが、基本的には闘わないで得られる心地よい人間関係は見せかけだけのものかも知れません。 いまの日本人は、このような見せかけだけの安堵感を求めているようです。 お互いに相手の本心が分からないでつきあうことは、心安らかなことなのでしょうが。 相手がなにを考えているか分からないままでつきあって、本当の友情が結べるのでしょうか。

トップページへ戻る