最初の失敗で諦めてしまうから、いつになっても自信を持てない

 このことは当然過ぎるくらい当然なことなのですが、実際に直面すれば難しいことです。 この世の中は自分の思い通りにはならないのが普通なのですが、そうは言っても自分の思い通りにならないと、だれかを恨みたくなってしまいます。 ましてや失敗や不幸が続けば、社会やだれかを恨まずにはいられなくなっても当然でしょう。 人を恨まないまでも、あきらめたくなってしまいますね。

  自分は万全の準備をしてことに望んだつもりでも、後で考えてみる、となんでこんなことに気がつかなかったのだろうということがよくあるものです。 後悔、先に立たずというやつです。 たった一度の、そして初めての挑戦で失敗すると、自分には適正がないとか能力がないと勝手に決め込んでしまうことも多いと思います。 自分は万全の準備をしたつもりでも、初めて挑戦するときは漏れていることがあって当たり前なのです。 それなのに自分には適正がないとか、能力がないとあきらめるのは早計ではないでしょうか。 自分がやったことのないことに挑戦するときは、分からないことが多く、分からないことがあれば失敗しても当然だとは言えないでしょうか。 

 いまのしつけの多くの場合、日本人は「失敗=能力のない人」としつけられることが多いので、とくに失敗に対しては過剰反応するのだと思います。 ビギナーズラックは、宝くじに当たるようなものであり、たった一度の成功で自分には能力があると思うことは、思い込みもはなはだしいと言わざるを得ません。

 一度や二度の失敗は能力や適正の問題ではなく、いい意味での馴れの問題です。 はじめから成功すると考える考え方、そのものが甘いのです。 だれでもはじめから成功して欲しいと願っていますが、現実はそう生やさしいものではないのです。 同じようなことに何度も挑戦して失敗するなら、それは適正がないとか、能力がないとかやり方に問題があるのですが、だった一度の失敗で自分の能力を決めつけてはいけないのです。 このようなことは自分に対する裏切りや犯罪といっても過言ではありません。 自分自身に対して行った犯罪を罰する法律はありません。 それだけに自分自身に対する犯罪的な行為については注意する必要があると思います。 自分を規制するのは、倫理と道徳とそれに自分の考え方だけなのです。

  「失敗は成功の母」と言います。 本当の意味では失敗のない成功は、真の成功とは言えないのです。 つらいことですが失敗を積み重ねることによって、成功への道が開けるのだと言えます。 はじめから成功するのは、偶然だと考えた方がいいでしょう。 それを自分の実力だとか、適正があるとか、能力があるからだと考えるのは早すぎると思います。 人生における失敗の持つ意味については、いくら書いても書き足らないくらいです。 このことは改めてじっくりと考えてみたいと思っています。

  ただし、失敗の原因を自分なりに反省して何度挑戦してもうまくいかないこともあります。 そのようなときはあきらめが必要でしょう。 このようなときにあきらめるのは、当を得た判断だと思います。 何度も何度も挑戦する意欲は買いますが、それはたんに意地でやっているだけではないでしようか。 無駄な努力を重ねる時間があったなら、もっと有効な時間の使い方があるのではないでしょうか。 意地だけでがんばることは、考えものです。 いさぎよくあきらめることが人生には必要なこともあると思います。 あきらめるということも人生において重要なことなので、「あきらめ」については別に書きます。

  なにごとにも「潮時」というものがあります。 潮時を見誤って、失敗したり惨めな姿を公衆の前にさらしている人はたくさんいます。 潮時を見定めることは、それほどむずかしいことなのです。 大体、潮時というものは、好調の直後に訪れることが多いからです。 自分の欲得や世間体を気にしなければ、潮時を見定めることはそんなにむずかしいことではないのですが、人の心から欲得や世間体を取り除くことがむずかしいのです。 潮時さえ見誤らなければ立派な人といわれる人が、引き際を見誤ったばかりに犯罪者になることさえあります。

  「潮時、引き際」は人生にとって重要なものです。 まず最初に仕事上の引き際について述べてみたいと思います。 経営者でとくに自分で会社をつくった人は、自分の会社に対する愛着が深いのは当然です。 欧米人に比較して日本人の場合は、この傾向が強いようです。 会社が順調に発展しているときは問題はないのですが、いったん経営が思わしくなくなってきて、これ以上会社をやっていける見込みがなくなっても会社を続けようとすることが悲劇を招いてしまいます。 現在の社会がまさにそうなのです。 見込みが立たないなら、借金が少しでも少ないうちに会社をやめればいいようなものですが、それができないのです。 なぜならば日本人は「仕事イコール人生のすべて」と考える傾向が強いからです。 会社を経営するのは、生活のためのお金を得るためというよりは、会社を経営することだけが人生のすべてだと考えるからなのです。 この考え方がいいとか悪いとかの判断は人それぞれですので、ここでは私の判断はあえて言いません。

  欧米人の場合、会社を経営するのは生活資金を得るためと割り切ったり、自分の夢を実現させる手段であったりすることが多いようです。 会社経営は目的ではなくて手段なのです。 生活のための手段であったり、自分の夢の実現のための手段なのです。 会社を経営するという同じことが、目的となるか手段になるかによって、人生は大きく違ってくるのです。 日本人の多くが会社を経営することを目的に考えるから、先の見込みもないのにも借金に借金を重ねて行きずまってしまうのです。 そして最も悲劇的な自殺や金銭に関わる殺人が多くなるのです。 これはあきらめを知らない、あきらめることができないことから来る悲劇です。

  潮時が分かったときに世間体など気にせずに勇気を持って会社経営をやめることができたなら、こんなに多くの悲劇が起こらないで済むと思います。 潮時とはこんなに重要なことなのです。 ここにあげたことは一例であって、なにごとにも潮時はあるのです。 

  なにをするにしても、自分には適性や能力があるのかどうかを見極めることが大切です。 そしてそれがないと分かった時点で引き下がる勇気も必要です。 はじめの失敗で自分の適性や能力を決めつけないことと、最期には引き際を見定める見識も必要なのです。

  でも物事を見極める目を持つためには、それなりの苦労が必要なことも事実です。

 成功は、何度も何度も失敗を重ねたあとにもたらされるもののようです。 成功したと言うことは、逆に言えば何度も失敗を重ねたと言うことの証拠だと思います。 

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