無菌人間 (抵抗力のない人)
まず生物のおさらいをしておきましょう。 人間に細菌やウィルスに対する抵抗力がなければ、どうなるでしょうか。 そんなことはだれでも知っていることですね。 そう、いろいろな細菌やウィルスに冒されて、生きていけなくなるのです。 抵抗力というのは、人間にとって必要不可欠なのです。 このことはひとが生きていく上においても、同じことが言えます。 一見人間にとって不必要と思われているものでも、必要不可欠なものもあるのです。
たとえば風邪を引くと熱が出ますね。 もし熱が出なかったら体はどうなってしまうでしょうか。 細菌が増殖して、気がついたときには手遅れになっていることでしょう。 熱が出ると言うことは、その風邪のウィルスを殺すための体の自動防御機能なのです。 ウィルスは熱の弱いそうです。 我々は熱が出るから、風邪が大事に至ることを防げるのです。
「いまの若者は……だ」という言い方で、次のような特徴が上げられます。 かくいう私たちも若いときには「いまの若者は……だ」と言われてきたので、大きな口はたたけないのですが。 この言葉はいつの時代にも用いられてきた言葉のようです。 だから「いまの若者は……だ」と言われても、なにも小さくなる必要はどこにもないのです。
この言葉で表現されることは、あまりいいことはありません。 思いつくままに上げてみると、
やる気がない | |
我慢できない (すぐにきれる、むかつく) | |
思いやりがない | |
自己中心的だ | |
自立心がない | |
親離れができていない | |
怒られるとすぐに泣いてしまう、学校や会社を休む | |
閉じこもり現象がみられる | |
後先のことを考えないで、短絡的な行動にでてしまう | |
目標がない | |
一人ではなにもできない (集団になると一人のときには考えられないような大胆な行動をとる) | |
情緒が不安定だ | |
社会の中での自分を考えられない | |
決断力がない | |
マニュアル人間だ | |
失敗を過度に恐れる (失敗を恐れるあまり、短絡的に完全人間になろうとする) | |
自己中心だけれども、自己主張ができない | |
自分の感情を言葉でうまく表現できない | |
人間の感情の機微が分からない | |
ブランド品志向が強い (これは若者に限った現象ではないですけれども) | |
努力をいやがる (なにごとも安直に考えたり、求めたりする。 経済的にいい生活をしたいが、苦労はしたくない) | |
社会一般の考え方と自分の考え方が異なることを恐れる | |
なにごとも集団の力に頼ろうとする | |
本当の意味での友人が少ないか、持つことができない (本当の友人や思いやりと言うことが誤解されていると思われる) | |
自分さえよければ、それでいい (これも若者だけの問題ではないのですが) | |
思いつきで行動しがちだ | |
できることなら他人と接触したくない |
書き出すときりがなくなりそうなのでこの辺で止めます。
なぜこのような社会現象がでてきたのかについては前にも書きましたが、ここで繰り返しておきます。 大事なことですから。 一口で言わせてもらえば、基本的には経済的に豊かになってきたことと切り離して考えることはできません。
経済的に豊かになったこと | |
学歴偏重の社会になったこと | |
母子密着の家庭環境になったこと ・ 父親がしつけや教育の場から身を引いてしまったこと |
|
経済的豊かさだけが人間の価値を決めると考えられるようになったこと |
こんなことが言えると思います。
このようなことの絡み合いの中から、いまの若者特有の問題が必然的に発生したと言えます。 その結果としてできあがった若者像は、
なにごとも自分では決断できない | |
思いやりがない | |
すぐにきれる | |
知識だけがあって、知恵がない | |
自己中心的だ | |
苦労をいやがる | |
忍耐力がない | |
想像力がない | |
依存心ばかり強くて、自立心がない |
というように、悪いイメージだけができあがってしまったのです。
若者をそのようにしてしまった原因の中から、ここでは若者の「無菌人間化(純粋培養)」ということに焦点を絞って考えたいと思います。 マスコミで報じられることの中に、ある子供がまったく抵抗力がなくなって、通常の状態ではすぐに病原菌に感染してしまうので、ビニールなどの防護服を着ている子供の写真を見たことがあると思います。 なにかの原因で病原菌に対する抗体がなくなってしまったのです。
私は若者たちを弁護しようとしているのではなく、いまのような状況になってしまったことに親や社会の責任がもっと自覚されなければならないと言いたいのです。 そことを抜きにして若者だけを非難しても、問題はなにひとつ解決しないと思います。 かえって若者たちを窮地に追い込んでしまうだけではないでしょうか。 子供たちを無菌状態で育ててしまった、親たちの在り方が厳しく問われるべきではないでしょうか。 子供たちが好きこのんで無菌人間のようになったのではなくて、社会や親たちの在り方、価値観が子供たちをいまのような状況にしてしまったのです。 なぜなら、小さな子供は親の価値観に従ってしか育てることができないからです。 子供は親のコピーでもあるからです。
なにも知らない子供たちが問題に直面すればどうしていいか分からず、短絡的に極端な行動に走っても不思議はないのです。 このことを社会や親たちは真剣に考えてみることが必要だと思います。 人間が生きていく上での抵抗力が身に付いていなければ、すぐにだめになってしまうか、極端に走って自分の身を守しか亡くなるのは当然過ぎるくらい当然のことだと言えます。 子供たちが親の考えられないような行動にでてしまうと言うことは、親たちのしつけの方法が間違っていたことの証拠なのです。 親が一生懸命しつけや教育をしなかったと言っているのではありません。 むしろ親たちは涙ぐましい努力をしてきたはずです。 それでも、このような状況になってしまったのです。 親たちのしつけや教育の方針が間違っていたということにならざるを得ないのです。
抵抗力の弱い人は病気になりやすいし、いったん病気になると症状が悪化するスピードも速いのです。 これに対して、抵抗力のある人は病気にかかりにくいし、病気になっても症状の進行が遅く、病気が悪化する前に手を打つことができるのです。 人間の精神、心の面についても同じことが言え、現実に対応できる能力のさによって、生きる抵抗力が違ってくるのです。
大切なことは、子供をしつける親の考え方にあると思います。 この点を差し置いて、子供たちの行動だけを非難しても、それは片手おちだとあえて言いたいのです。