なぜ、同じ失敗を繰り返すのか

これは人ごとではなくて、私自身のことでもあります。 いまだに同じ失敗を繰り返してしまいます。 そんなことを念頭に置きながら書いていきます。

  よく次のような相談を目にします。

いつも同じ失敗を繰り返してしまう
分かっているのだけれども止められない、変えられない
「今度こそは」と決心しても、その場になるとできない

 これが人間の弱さの正体ではないでしょうか。

  それは、いま自分の身に起きていることからなにかを学ぼうという意識がないからではないでしょうか。 人は痛い目に遭わなければ分からないと言いますが、同じ失敗を何度も繰り返す人は痛い目にあっても分からないのです。 なぜ分からない、分かろうとしないのかが問題です。 それは漫然と生きているからです。 生きることに真剣みが欠けているからです。

自分はなにもしなくても、いつか、だれかが助けてくれる
自分に変わってだれかが責任をとってくれる
ほっておけば、ものこどは収まるところに収まる (先延ばし、その場しのぎ)
人になんと評価されても、生きてだけはいける
自分で決断しなくても、だれかが決めてくれる

  このようなことがあげられると思います。 ここに共通しているものは、他人に依存しているということです。 すべては他人任せにしていても、生きていくだけは生きていけるからなのです。 責任感や自立心が薄いのです。 自分で自分の道を決めて、切り開いていこうという意識がないからだと思います。 こう言うと、「自分は本当に自分でやろうとするのだが、同じ失敗を繰り返している」と言う人もいるでしょう。  そのような人は、現実からなにも学ぶ気がないのに、頭だけで生きていこうとしているのではないでしょうか。 現実はなんのためにあるのか。

  私は、最近次のように考えるようになりました。 私独自の考えではありません、 ある本に書いてあったことですが。 「現実に自分がつらい目に遭う、失敗すると言うことは、なにかが自分には欠けているのことを教えようとしているのだ」と考えることです。 もし自分に欠けていることがなければ、失敗もしないし、つらい目に遭うこともないのです。 と言うことは、なにか問題に直面したら、そこからなにか自分は学ばなければならないのだと考えるのです。 そうすれば、単純に失敗を呪うこともなく、相手を恨むことも、少なくなるのです。 実際にそのようなことが分かるためには、時間が必要ですけれども。

  一時的には、相手を恨んだり、呪ったりすることは避けられないとも思いますが。 いつまでも恨みやねたみを引きずらなければいいのだと思います。

  現実からなにか学ぼうという意識がないから、いつも同じ失敗を繰り返してしまうのです。 なぜ学ぶ気がないのか。 それは他人や社会に依存して生きようとしているからです。 私の経験からだけ言わせてもらえば、いつも同じ失敗を繰り返している人は共通して依存心が強い人たちでした。 そして性格は決して悪くない人たちなのです。 言い方を変えれば、心の弱い人たちと言ってもいいですが。

 なぜ同じ失敗を繰り返してしまうのか。 それは問題意識を持たないで、他人や社会に依存して、のんべんだらりと生きているからです。

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