失敗は行動したことの証拠である

 だれでも何かをするときは、失敗しようとしてはじめる人はいません。 相手を陥れようとしてすることは例外です。だれでも成功を願っているはずです。 成功とは言えないまでも、それ相応の結果を期待しているのです。 しかしながら、結果は成功することもあるし、失敗に終わることもあります。 失敗した理由はいろいろと考えられるでしょう。 でも絶対に失敗しない方法がひとつだけあったのです。 それはなにもしないことです。 成功の喜びもありませんが、失敗の後悔の念もありません。 (本当でしょうか。)

  ものごとには成功がある反面、失敗するという可能性も必ずあるのです。  この世の中にリスクのない成功はないと思います。 失敗したということは、なにかをやったという証拠なのです。 世間の常識では、「あの人は成功したのだからすばらしいことだ」とか「失敗したから愚かな人だ」とか、結果だけを見て評価するものです。 他人は相手の心の中は分からないので、表面的な結果だけを見て判断することは仕方がないと言えますが。 世間の常識では失敗した人は、能力がなく人格的にも劣るとされるのです。 逆に成功した人は能力のあることは当然として、人格的にも優れた人だということになります。 このことに関しては、みなさんで考えてもらいたいものです。 

  しかし失敗した人の身になってみれば、結果だけで判断されることは非常につらいことです。 世間の評価というものは、外見だけを見て下すものであり、そこに至った経過は多くの場合考慮されないからです。 むしろ最初からなにもしないで、成功もなければ失敗もしなかった人の評価の方が高くなることが一般的です。 場合によって失敗は社会的には、致命的なダメージを与えるのはもちろんですが、失敗のすべてが本当の失敗なのでしょうか。 成功は本当にすべてが成功と言えるのでしょうか。 このことは別のところで考えたいと思います。

  失敗にも二通りの失敗があると思います。 ひとつは失敗して当然と考えられる失敗、もうひとつは万全をつくしたのだけれども、そのときの政治経済社会情勢などの急激な変化のように、個人の力ではどうにもならない影響で失敗したときです。 要するに、だれがやっても結果は失敗しただろうという失敗です。 この二つを同一に考えることは避けるべきでしょう。 そうしないとものごとの本当の姿を見失うことにもなります。
  失敗して当然な失敗とは

準備不足
知識不足
資金不足
努力不足
経済状況などを無視した無謀とも思える計画
管理能力不足
自分の能力を過信する

 このような理由による失敗は、当人の能力とともに人格までも疑われても仕方がないと言えます。  

  個人の力ではどうすることもできない失敗とは

急激な政治経済的な変化
自然災害
連鎖倒産 (多くの場合は個人の責任の範囲を超えていると思います)
信じていた人に裏切られた (これは問題があるかも)
あらゆる環境の変化を予測したが、不測の事件に巻き込まれた
「貸し渋り」のようなことが起きた

 このように個人の力でどうすることもできない影響のために失敗したときの失敗は、個人の能力や人格にはなんらの影響も及ぼさないと思います。 

  むしろなにもしないで評論家気取りで、他人を批評している人こそ笑われてしかるべきだと思います。 だれもが失敗を恐れて挑戦しないことに、万全の準備をして挑戦して失敗したり、結果は失敗だったが善後策に全力を尽くして被害を最小限にとどめたとき、失敗を契機として新たなチャンスをつかんだときなどは、むしろ失敗を誇りに思ってもいいと言えます。 「失敗は成功の母」ということわざがあるように、経験が人間を育ててくれるのです。 経験を自ら放棄して他人を非難している人には、失敗した人を笑う資格はないのです。

  なにもしなければ失敗はありません。 失敗したということは、「なにかをした」ということなのです。 なにもしない人が、なにかをして失敗した人を笑ったり非難することは、天に向かって唾をしているいるようなものです。 すなわち自分にはなにもする勇気もないので、失敗した人を批判することによって自分を慰めているのではないでしょうか。

  例外はありますが失敗が周囲の人より多いと言うことは、それだけ行動力のある証拠ではないでしょうか。 なぜなら、なにもしない人には失敗はないのですから。 この意味で失敗は行動の証拠と言ってもいいと思います。  ただ同じ失敗を何度も繰り返すのは、ここで扱うことではありません。 

  失敗を恐れすぎると、恐ろしさが先に立ってしまいなにもできない人間になってしまいます。 失敗を避けようと努力することは必要ですが、失敗を完全に避けることはできないと肝に銘じておかないと、人生のつまずきの石となってしまいます。 失敗はつまずきの石ではなく、成長の糧としなければならないのです。 失敗はにがい薬のようなものです。 私もずいぶんとにがい薬を飲んで、ここまできました。 「良薬は口に苦し」と言いますね。   

  失敗は人生を狂わせるためにあるものではなく、人間を成長させるためにあるのだと考えることです。 ものは考えようです。 避けて通ることができないならば、よいほうに考えることがプラスになると思います。 人は経験しないことは分からないのです。 失敗のつらさを知っていればこそ、成功するように頑張れるのではないでしょうか。 

  成功の喜びを味わうためには、失敗のなんたるかを知らなければならないのだと考えることです。 やっぱり「失敗は成功の母」なのです。 積極的に生きていて失敗しても、その失敗は納得もでき取り返すこともできます。 消極的に生きていて失敗すれば、人生を呪うことになるかもしれません。

  あなたが失敗したことを非難するひとがいたら、次のように言ってあげなさい。
      「俺は行動したから失敗もしたのだ。 なにもしないひとは失敗はしない。」と。

  こう言えるような人間になるように、頑張りたいものです。 それが生きることを楽にしてくれます。

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