失敗は自分の欠点を教えてくれる

 私は酒の席で大きな失敗をしたことがあります。 後になってみると、自分でもどうしてあんなことを言ったのか分からなくなっています。 事実を分かろうと分かるまいと、酒の席で失敗したことには変わりがありません。 私は「失敗こそが人を育ててくれる」と書きましたが、言葉を変えれば「失敗は自分の欠点や短所を教えてくれる」ことに他ならないのです。 失敗することが恐ろしいとか、恥ずかしいと言うこともありますが、失敗を恐れる大きな理由のひとつは、自分でも目をそらしている自分の欠点を見ざるを得なくなるからではないでしょうか。

  自分のいたらなさを知ることは、だれにとっても嫌なことです。 なぜなら、

自分の能力のなさを他人に知られるから恐ろしい、恥ずかしい
日頃自分の言っていることとは異なることをしたから、世間に合わせる顔がなく恥ずかしい
自分の価値が下がるから恐ろしい
自分のいやな面を見ずにはいられないからつらい
他人に笑われるから恥ずかしい
自分でも気づかなかった自分に気づかざるを得ないから恐ろしい

  失敗することによって、自分でも見たくない自分の一面を見ることに耐えられなければ、なにもできなくなって当然です。 「失敗が恐ろしくてなにもできない」ということには、このような理由があるのだ思っています。 自分の嫌な面を知ることを拒否し続けるかぎり、なにもできなくなっていくのです。 そしてますます自分を嫌いになり、自信を失ってしまうのです。 自分の欠点から目をそらしているかぎり、人間は成長できなくなるのです。

  この失敗の中には自分では重大なことだと思っていても、それほどではないこともあるし、逆に大したことがないと思っていても他の人から見れば重大なこともあるのです。 多くは後者に含まれると思いますが。 

  結局は失敗をどのように考えるかによって、人生はどのようにでも変わるということです。 

  失敗はあってはならないものだと考えればなにもできなくなり、自信を失い、自分を嫌いなってしまいます。 そして責任を自分以外に転嫁して社会や相手を恨んで生きるようになります。 

  逆に失敗は自分の欠点を教えてくれると考えれば、そこには反省や努力があり、自分を成長させることにもなります。

  失敗したときは、どうしても相手や社会を恨みがちになりますが、一時的にはそうなっても冷静になれたときには失敗の原因を自分のなかに求める態度が必要だと思います。 これは自分を責めることではなくて、反省することです。 反省からは責任転嫁は生まれてこないと思います。 反省から生まれるものは「謙虚さ」だと思います。 私は失敗は人生のつまずきの石になるためにあるのではなくて、自分でも知らない自分を気づかせてくれるためにあるのだと信じたいのです。 失敗から逃げるのではなくて、失敗を失敗として認め自分の人生に活かすことによって、失敗は成功に変わるのだと言えます。 

  でも「失敗が自分の欠点を教えてくれる」ということは、本当につらいことですね。 できることなら目を背けたくなってしまいます。 だから、この次に同じ失敗をしないように失敗から学ぶことが多いのだと言えるでしょう。 この意味では「失敗は最大の成功」とも言えるのですから、ぜひそう言えるようにしたいものです。

  失敗は人生の偉大な教師なのですね。 

  失敗が自分の欠点を教えてくれているのに、相手や社会を恨むという「お門違い」なことをしてしまうから、失敗からなにも学べなくなり恨みだけを抱いてしまうのではないでしょうか。

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