だめでもやってみることに価値がある

 世の中には失敗することが恐ろしくて、確実に成功の見込みのあること以外には手を出さない人もいます。 正確に言えば、確実に成功の見込みのあること以外には手を出さないのではなく、そのようなこと以外に手を出せないのではないでしょうか。 そしてこのような人が自慢げに成功話をするのです。 だれにとっても失敗は避けたいと思います。 ただし、失敗が恐ろしいことなのか、あるいはできれば避けたいと感ずる程度は人によって様々だと思います。  失敗をすれば、

地位や名誉や財産を失うかもしれない
自尊心を傷つけられるかもしれない
笑いものになるかもしれない
信用を失うかもしれない
家族や命を失うことになるかもしれない

  といったようなことが待ち受けているかもしれないのですから、失敗をしたくないのはだれにとっても当然です。

  一方には、命の危険も省みず冒険や新しいことに挑戦する人たちも大勢います。 同じ人間でありながら、どうしてこんなに違うのでしょうか。 その理由は人生に対する価値観が違うからだと言えます。 なにごとにおいても成功することだけが人生の価値を決定すると思っている人にとっては、失敗は致命的な挫折感を味わわせることになります。 このような人にとっては挑戦する対象が大きくても、小さくても失敗は同じ意味を持つことになるのではないでしょうか。 だから成功の保証のないことには、手を出せなくなるのです。 失敗は、人生そのものの挫折と同じことになるからです。 

  成功することだけが(なにが成功かはひとによって違いますが)人生の価値だとするならば、新しいことや危険なことに挑戦する人はいなくなってしまいます。 だれしも人生での成功を願っていますが、成功は人生の目的ではなく、その過程が人生の目的ではないでしょうか。 かっこのいいこと言っても、私も成功が目的になりがちですが。 成功は、その結果なのではないでしょうか。 だからこそ、失敗しても、挫折しても堂々としている人もいれば、逆境からはい上がってくる人もいるのではないでしょうか。 このような人は功名を横取りされても、あまり怒らないのではないでしょうか。 必ずしも、成功だけが目的ではないからです。 失敗を恐れてなにもしないことは、成功することもないことと同じであり、そこには人生の感動はないと思います。 なにしろこの世の中はすべてが相対的な世界だからです。

 チャレンジそのものに価値を見いだしている人も大勢います。 そのような人にとって、ことの成否は問題ではないのでしょう。 ものごとの過程、そのものが生き甲斐なのでしょうね。

  ほぼ結果の分かっていることで成功しても、喜びは感じられなのではないでしょうか。 結果が分からないから、成功したときの喜びが大きいのです。 勝負はやってみなければ分からないから、感激があるのです。

  なにもしないで後悔するか、挑戦して失敗して後悔するか、どちらを選ぶかは個人の自由でしょう。 私は、なにもしないで後悔したとすれば「もしかして、自分もやってみたら成功していたのではないか。」と後悔すると思います。 挑戦して失敗したとすれば、それはその人の体験となり人間をつくりあげてくれるのです。 つらいことですけれども、なにもしないことを選ぶよりは、やって失敗する方が人生にとっては有益だと思います。 失敗だけが人を育ててくれるからです。

  「やってもだめだ」ということは、自分がやりたくないからしないことの言い訳にもなり、このことが積み重なるとなにもやらない、なにもできない無気力に人になってしまうことでしょう。 生きていく上で重要なことは、結果を先に持ってきてはならないのです。 結果はやってみなければ分からないのです。 予想される結果を先に持ってくる人は、いわゆる物わかりのいい人、お利口な人たちではないでしょうか。 理屈でものを考える人たちではないでしょうか。 理屈も大切ですが人生は理屈をこねるためにあるのではなく、行動することが目的なのです。 行動して体で体験して、感動することが大切だと思うのです。

  失敗から学ぶことはいっぱいあるはずです。 偉人と言われる人たちは、どれほどの失敗を重ねたのでしょうか。 彼らには失敗はなかったのでしょうか。 彼らも多くの失敗を重ねて、大きな業績を上げたのであれば凡人である(小渕総理のことを指しているのではありませんよ)我々はもっと多くの失敗を積み重ねなくてはならないと思います。 失敗にもめげずに、がんばったからこそ立派な仕事ができたのです。 偉人と言われる人とて、失敗がなければ成功はなかったのですから。 

  全力を出して失敗したときは、一時的には落ち込んでもいつかはきっと納得できます。 このような失敗からは、きっと立ち直れます。 なにもしないで失敗になったときは、いつまで経っても納得できないでしょう。 もしやっていれば成功したかもしれないからです。 

  だめでも、やってみることに価値があるのです。

  いまのしつけや教育は、失敗することがすなわち人間としての価値を損なうことのように教えるから問題があるのです。 失敗することは、人間としての価値や自尊心を損なうことではないということを肝に銘じておく必要があります。 なにもしないで失敗もなく生きるひとが立派で、難しいことや新しいことに挑戦して失敗したひとの方が価値がないとは、とんでもない考え違いではないでしょうか。 

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