現実(修羅場)から逃げてしまった

  ここで言う修羅場の意味は、「人生において逃げてはならないとき、うそを言ってはならないとき、正面からものごとと対峙しなければならないとき」というような意味です。 生きていく上において、だれしも修羅場を経験するはずです。 人よってその内容は違いますが、とにかくその人にとって人生の一大事というときです。

  もっと広く考えれば、自分が出会うすべての現実ということです。 要するに現実から逃げ出すか、正面から向き合うかと言うことです。

  そのような修羅場を逃げると、たまたま責任回避ができたり、問題を先送りやそのばしのぎができたりすることがあります。 そうするとその人は苦労を逃げることによって、自分は生きのびることや仕事に対して、責任を持たなくてもやっていけるという錯覚を起こしてしまうことにもなります。 その次の修羅場も、逃げることで乗り切ろうとします。 そのような態度は、人生で一番大切なことを覚える機会を失うことでもあります。 そうすれば大切なことに対する対処法が分からなくなるのですから、生きることに自信がなくなっても不思議ではないのです。 

  人生の修羅場(現実)から逃げれば逃げるほど生きることは苦しくなるのです。 苦しいから逃げる、逃げるから苦しくなるの悪循環になってしまいます。 いつかは修羅場に対峙しなければ、人間は楽にはなれないのです。 いつも逃げ回っていたり、責任回避をしていたり、いつも自分の人生を嘘で固めていたり、だれかに依存して生きている人をみれば、このことはお分かりいただけるものと思います。 これらのことに共通することは、体験を回避していることです。 修羅場などという大それたことでなくても、日常生活のささいなことについても同じことが言えると思います。 ささいなことでも逃げ回っていれば、そのような性格ができあがってしまうのです。 苦しみの原因の一つに、このようなこともあると確信しています。 ささいなことの中には本当にどうでもよいこともあれば、どうでもよくないこともあるのです。 

  そのときは修羅場から逃げ出すことができても、いつかは捕まるのです。 逃げ回っていることは苦しく、自分自身に対して責任を持てません。 そんな毎日が楽しいはずはないと思います。 問題を先送りしたり、その場しのぎをしていては、問題は深刻になっていくだけです。 人間を育ててくれる唯一の経験を逃げているからです。 

  「自分は大切なときに逃げたのだ」ということを自分が忘れるわけにはいかないのです。 そのことが自分を苦しめるのです。 他人を騙せても、自分を騙すことはできないのです。 それでも自分を騙すために、いいかげんな生き方をするようになるのだと思います。

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