責任転嫁を覚えてしまった
これは「現実(修羅場)から逃げてしまった」と、ほぼ同じ内容です。 よく責任逃ればかりしている人を見受けることがあります。 (みっともないったら、ありゃしない)。 私も大部やってしまいましたから、大きなことは言えませんが。 そのような人に限って、単に責任逃れをするばかりでなく、同時に責任転嫁もしているようです。 責任逃れだけするならまだしも、責任転嫁もするような人は許せません。 責任逃れや責任転嫁をする人をよく観察していると、自分に自信を持てない人、建前でしか生きていない人が多いように見えるのは私一人でしょうか。 自信のある人は責任の取り方を知っているようです。
一度責任逃れや責任転嫁を覚えてしまうと、その甘い罠からはなかなか抜け出せなくなってしまいます。 そして自分はなにもしなくてもいいという考え方が身に付いてしまいます。 なにもしなくてもいいということは、経験を避けることであって、それは自信を失う原因になることは前述の通りです。 自分に自信がないから責任転嫁をするのだと言えます。 自信さえついてくれば、責任逃れとか転嫁ということは自然になくなるはずです。
自分に自信をつけるためには正攻法で立ち向かうよりも、間接的なやり方で立ち向かう方がいいかも知れないと、いまこのようなことを書いていて思いました。 なぜなら自信をつけようつけようと意識すると、自分の思うようにならないとかえって自信を失ってしまうからです。 結果として自信がつけばいいのであって、極論すれば方法は問題ではないのではないかと思い直し始めたところです。
このように考えると、自信をつけるための方法がまるで変わってくると思います。
たとえば、
責任を回避しない、責任転嫁をしない | |
他人の悪口はあまり言わない | |
できない約束はしない ・ 自分との約束も、他人との約束も |
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ささいなことを軽視しない ・ 身の回りの後かたづけなどを軽視しない |
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挨拶をする ・ たとえば、買い物をしたときにレジ「ありがとう、お世話様」などという |
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両親の言うがままに行動していたのであれば、自分の意見を言うようにする |
など、簡単なことを励行することからはじめてはどうでしょうか。 難しいことからやろう、やらなければならないと思うから、よけいできなくなるのです。 他人にとっては簡単なことでも、自分には簡単でないこともあるはずです。 そんなことから、やってみてはどうでしょうか。 人の目なんか気にしてはいけないのです。 他人のためにするのではなく、自分のためにするのですから。