ささいなことの積み重ねを軽視あるいは軽蔑した

 人生にとってなにが大切かを考えるうえで、我々(少なくても自分が犯した過ちですが)が陥りやすいことは、日常生活のささいなできごとの積み重ねが人間を作り上げることを忘れがちなことです。 確かに人生を左右するような大きなできごとは、その人の一生に大きな影響を与えることは当然ですが、毎日のささいなことが、じわりじわりと人格形成に影響を与えているのです。 

 このことは、想像以上に大切なことだと、私の過去を振り返って思います。

  このことは毎日のことなので我々は慣れっこになってしまい、気がついたときには、その習慣から抜け出せなくなってしまうのです。 急性アルコール中毒(二日酔い)ではなく、毎日の晩酌が肝硬変につながるようなものです。 習慣とは本当に恐ろしいものだと思います。 いい習慣を身につけることのできた人は、それだけ生き甲斐のある人生を送ることができるし、悪い習慣が身に付いてしまった人はその習慣を直すこともできないで、つらい人生を送ってしまうことになるでしょう。 たとえ悪い習慣を直そうと決断しても、そのための努力が大変で直すことができなくなるのです。 自分勝手な、安易な生活を送ってきた人が生き方を変えるには、決断よりも毎日のささいな試練に耐えられないのです。

  毎日のささいなことを軽視すれば、人生のどこかでしっぺ返しを食らうことになります。 そのしっぺ返しは私生活に表れるか、仕事に表れるかはそのときになってみないと分かりませんが。 ささいなこともできない人に、大きなことはできないのです。 たとえやったとしても、成功する確率は低くなるのです。

 心の豊かな人だけが、ささいなことにも気を配ることができるのです。 気の小さい人、他人の動向で自分の対応を決めるような人の気配りは、気配りとは言えないのです。 そのような気配りには、常におどおどとしたところがつきまといます。 気配りをしているのではなく、たんに他人の目を気にしているだけなのです。

トップページへ戻る