なにが最初の自信になるのか

 自信を持ちたくても持てなくて困っている人は大勢います。 一体どうすれば最初の自信が持てるようになれるのでしょうか。 いままで幾度となく書いてきましたが、もう一度書いてみます。

  それにはささいなことを軽視しないで、忍耐強く継続するしかないと思います。 時間はかかっても、「いままでできなかったことが、できた」というよろこびが自信を産むのです。 頭の中だけで、理屈だけでどうすれば自信を持てるかと考えていては、死んでも自信を持つことはできないと思います。 自信を持てるようになるためには、決断と実行しかないのです。 頭の中でいくら考えても、かえって自信を失いかねないのです。

  いま自信を持てなくて困っている人は、「やってみよう」と言う決断が必要なのです。 決断すると言うことについて、過去にこんなことがありました。 あるレスに「決断が必要だと思います」と書き込んだところ、別の人から「本人は決断できなくて悩んでいるのに、決断しろとは酷ではないか」と書き込まれました。 そけでも「決断がすべてに優先しなければ、なにもできないと思う」と再度書き込みました。 なぜ決断できなくなってしまうのか。 大きな問題です。

  それは決断というと、なにか大切なこと、なにか大きなことを決断しようとするから決断できなくなるのだと思います。 決断とは、なにも大きなことだけとはかぎらないと思います。 いままで決断できなかった人に、いきなり大きなことを決断しろと言っても無理だと私も思います。 他人にとってはささいなことでも、自分にとってはそれなりに努力を要することもあるはずです。  たとえば朝起きたら顔を洗うことは、大多数の人にとっては努力を必要とすることではないと思います。 習慣になっていることですから、顔を洗うことにはなんの努力も必要としないのです。  しかしある人にとっては、顔を洗ったり、毎朝歯を磨いたりすることでも面倒くさい人もいるでしょう。 そのような人は大きなことを決断するのではなくて、毎朝きちんと顔を洗ったり、歯を磨いたりできるようになるには努力が必要なのです。 「このようなことからやってみてはどうか」と言っているのです。 これも決断には違いありません。

 なにごとでも習慣になるまでが、大変なのです。

 いままではできなかったことを「こんな自分でもできた」と言うことが、最初の自信になるのだと思います。 「その気になれば、こんなぐうたらな自分でもできるんだ」ということが、自信になるのです。 自分で自分に証拠を示すことによって、はじめて自信がついてくるのだと思います。 これは理屈ではないと言えます。 行動することだけが、自信の元になるのです。 恐ろしい、怖いからといって行動しなければ、自信のつきようがないのです。

最後にもう一つ。 それは、自分を嫌いながら自信を持つことはできないと言うことです。

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