自信には裏付け(根拠)が必要

 自信のある人とない人とでは、どこがどう違うのかを考えてみたいと思います。

 いままで言ってきたことの繰り返しになりますが、自信のないひととは、

八方美人になってしまいがち
大切なときに「ノー」と言えない
 ※できないことまで引き受けてしまう
周囲の言動が気になって、なにをするにも「周囲からどう思われるか」を基準に判断する
自分を責めても、反省することがない
いつもその場しのぎをしてしまうことが多い
責任転嫁をする
なにをするにも、考えるにも消極的な考えが最初に頭に浮かぶ
 ※やれる理由ではなく、やれない理由を考えてしまう
いつも周囲の都合を優先させる (自分の都合は後回しになる)
社会との接点が少ない
他人を信じられないばかりでなく、自分をも信じられない
結果ばかり気にしてしまう
自己主張できない
相手のいいなりになってしまう
他人に利用されるばかりで、信頼されない
いつも嘘の自分を演技してしまう
いつも現実から逃げることばかり考えている

 まだまだあるでしょうが、ちょっと考えただけでもこのようなことが頭に浮かびます。

  自信を持てない人は自分でも意識していないかも知れませんが、いつも、現実から逃げることを、最初に考えてきたからではないでしょうか。 私は「経験だけが人をつくる」と何度も繰り返していますが、その経験を意識的・無意識的に逃げてきたから自信を持てなくなってしまったのです。 本人が気づいていないことが、大部分だとは思いますが。

 自分に自信を持てないことは、とりもなおさず現実から逃げてきたことになるのではないでしょうか。 自信のある人はなにごとにおいても、現実から逃げないで現実を受け入れ、積極的に立ち向かっているではありませんか。 いま自信のある人も、生まれつき自信があったのではないと思います。 現実から逃げないで苦労をしてきたから、自信を持てるようになったのです。

 自信を持てるためには、苦労や挫折という犠牲を払わなければならないのです。 苦労は、必ず自分が傷つくことを伴うのです。 自分がイヤな思いや、イヤな目に遭わないで、自分が傷つかないで自信を持とうとするから、いつまでたっても自信を持つことができないのだと思います。 そして「自分はダメな人間だ」と自分を決めつけてしまい、ますます自信を失っていってしまうのです。

 一番の問題は、そのような苦労や挫折にたえられない人が多くなってきていることです。 その原因は小さいときからなにごとも親がやってくれたことにあるのではないでしょうか。 生きていくうえで自分が決定しなければならないようなことまでを、親が決定してくれていたから自分なではなにも決定できなくなり、その結果自分を守るためには現実から逃げることしか考えられなくなってしまったのです。 ここにいまの青少年が抱える心の悩みの理由があると思っています。

 繰り返しになりますが、自分が苦労しないで、自分が傷つかないでまたは相手を傷つけないで自信を持つことはできないのです。

 自信を持つためには、自分が傷つくことは絶対に避けられないのです。 このことだけは、忘れないで欲しいのです。 自分が傷つかないで自信を持とうとすればするほど、自分は無力感に陥り自分の価値を認められなくなり、自分を責めるようになってしまうのだと思います。 自分が傷つく、他人に笑われる、自分で汗をかく、なんでも自分で率先してやってみる以外に自分を信じられるようになる道はないのだと思います。

 自虐的になって自分をみんなの前で笑いものにすることによって、自分を満足させようとする人もいますが、そのような人の心の中にはむなしさだけがあるのではないでしょうか。 いつもいつも心の中には冷たい北風だけが吹いていると思わずにはいられません。 そんなことで「他人は自分を認めてくれる」とでも、思っているのでしょうか。 相手はおもしろがっても、そのような人はさげすまれるだけではないでしょうか。

  自信の裏付けとなるものは、自分が傷つきながら苦労をして苦難を乗り越え、なおかつ自分や他人を信頼できるという心だと思います。 他人の心を理解できないような人は、自分を信ずることもできないと思います。 

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