なぜ孤独なのか

「孤独と孤立」、なんか似ているようで違うようです。 私にはうまく説明できませんが。 一応辞書を引いてみると

孤独  …  助けのないこと
連れのないこと
ひとりぼっち
孤立  … 助けのないこと
ひとつだけほつんと立っていること
関係するもののないこと

 と、ありました。

  いまの若者の人間関係の悩みの多くは、相手に無視されることと共に自分から進んで人の輪に入っていけないことが多いと思います。 ここでは後者について考えてみます。 (相手に無視されることも結局は同じ理由だと思いますが。)  なぜ自ら進んで人間関係を結ぶことが苦手なのかについては、このサイト全体のテーマでもあります。 この問題については割愛して、「自分はなぜ孤独だ」と感じてしまうのかの一点に絞って書いてみます。

  日本人の人間関係の特徴のひとつとして、「無意識のうちに相手との距離をはかり、その距離をうまく保つ、相手と争わないことが美徳だ」ということが上げられると思います。 相手が心を開いた度合いに応じて、自分も心を開いていくということです。 決して自ら積極的に自分の本当の姿をみせようとはしないで、相手が本心をだしてくるのをじっと待つということです。 相手から心を開いてくれる人ならお互いに親密な人間関係もつくれるでしょうが、相手が心を開こうとしない人ならいつまで経っても、良好な人間関係は成立しないのです。 

  ここから言えることは、相手が近寄ってくるのを待っていては、なかなか良好な人間関係が結びにくいということです。  お互いによりよい人間関係を求めつつも、相手の出方を伺ってしまっているのです。 そして

自分は人間関係に自信がない
自分には友だちができない
自分にはなんの取り柄もない
自分はどうでもいい人間だ
自分は孤独だ
自分はだれにも相手にされない

と、考えてしまっているのではないでしょうか。

  自分から心を開こうとしないで、自分から相手に手をさしのべようとしないで、相手が心を開くのを待っているから、孤独になってしまうのではありませんか。 原因と結果を、逆に考えているのではありませんか。 なぜ孤独と感じるようになってしまったのか。 その最大の原因は自分から心を開かなかったことにあるのです。 ここを勘違いするから、すべてがおかしくなってしまうのです。  

 周囲の人があなたを孤独にしたと言うこともあるでしょうが、多くの場合、自分から進んで(否応なしに)孤独の道を選ばざるを得なかったのだと思うのです。 たれが、好きこのんで孤独になっていく人がいるでしょうか。 そんなことは、人間の本性に反しています。

 周りの人があなたを相手にしなかったのではなくて、自分が周りの人に心を開かなかったから、相手が遠ざかってしまったのです。 中には自分から心を開いても相手が心を開かず、その結果人間関係がうまく行かないこともありますが、多くの場合は自分が心を開こうとしなかったことに原因があると思います。 自分としては認めたくないことでしょうが、勇気を持ってこのことを考えて欲しいと思います。 相手が心を開いて自分に近づいてくるのに、自分が心を開かなければ相手から遠ざかったように見えても不思議はないでしょう。

  日本人には自分から心を開くことは、自信のない人や心の弱い人のすることであって、それは卑屈な態度だという暗黙の了解があるのです。 (あるのではないでしょうか。)  自分から進んで人に笑顔を見せることは、偉い人のすることではない、偉い人や社会的地位のある人は威厳を持ってじっと座っていることが大切だという考えがあるのです。 だから相手になめられないためには、自分から心を開いてはいけないと考えるのです。 

  お互いに本心では友だちになりたいと思いながら、その一方では相手の出方ばかりを待って自分からは友だちになろうとしない、あるいは友だちになれないとは悲しいことです。 

  なぜ自分から心を開くことができないのか。 最大の理由は自分から心を開くことによって、自分が傷つくことに絶えられないからではないでしょうか。 自分からリスクを背負うしつけをされてこなかったことが、またそのようなリスクは避けられると信じてしまったことが問題なのです。 信頼できる人間関係を築く上では、自分が傷つくことは避けられないのです。 常識的に考えれば、私の言うことはおかしいと思われるかも知れませんが。 その傷を乗り越えたところにしか、本当に信頼できる人間関係はできないのです。 表面的で意見の対立のない人間関係が、信頼できる人間関係だと勘違いしてはいませんか。

  生きていくかぎりは自分が傷つくことは避けられないことは、なんども言ってきたはずです。 その避けられないことを避けようとするから、逆に孤独になってしまうのだと思います。 恥ずかしくてもつらくても自分が傷ついても、逃げないで体当たりしていくほかに道はないのです。 

  だれかが自分の親たちのように手をさしのべてくれると思っているから、孤独になってしまうのです。 生きることにそんな甘えは許されないのです。 なにごとも自分で経験して、自分で生きることの価値を決めていかなければならないのです。 自分が積極的に行動して、生きることに共感できなければ孤独になってしまうのです。 なにごとも自分のことしか考えないから、孤独になってしまうのです。

  いま孤独でつらい毎日を送っているひとは、ぜひ社会と自分の関連 (社会との絆)を、自分と相手との関連(ひとの絆)を実感することが必要なのです。 社会や他者に共感できないことこそが、孤独の原因なのです。 言葉を変えれば思いやりを持てないこと(利己的な生き方しかできないこと)こそが、孤独の原因なのです。 すべてのことを優劣や比較でしか考えられないことが問題なのです。

  これはある本に書いてあったことですが、示唆に富む内容でしたので紹介しておきます。

  「自分が孤独だと思うことは、自分が社会や相手に十分に手をさしのべていない証拠だ。」

 と言うことは、自分は相手に助けてもらうことばかり考えていて、自分のことばかり考えていて、周囲の人のことを考えていないと言うことになるのではないでしょうか。 人間は社会との連帯感をもてれば、決して孤立することはないはずですから。 孤独になることはあっても、孤立することはないと思います。

  自分を家族や友だちや同僚、地位は社会の人たちとの関係の中で考えなければ、自分は孤立してしまうのだと思います。 だれでも孤独になれば、ますます自分の殻に閉じこもってしまいます。 自分に閉じこもって孤独から抜け出そうとするから、抜け出せなくなるのではありませんか。 そんなときこそ、周囲の人と心を通わせることが必要になるのではないでしょうか。

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