行動を起こせば、不安はなくなる

  不安は人間を行動に駆り立てる重要な要素だと書きましたが、ここではどうしたらその不安をなくしたり、少なくすることができるのかについて考えてみます。

  自分や家族の将来に対して、不安を抱かない人はおそらく一人もいないと思います。 不安の中身が具体的なことであれば対策は立てやすいのですが、しかし不安は漠然としたものであり、敵の姿がどこに隠れているのか分からないことが多く、自分から攻撃するにもどこをどのように攻撃していいのか迷うことになり、ここに不安に対する対応の難しさがあります。 希望は分かりやすいのですが、不安はあるのかないのかさえ分からないこともあるのです。 希望は意識しやすいのですが、不安は無意識の中にあるのです。

  自分が不安にさらされているという自覚があるならいいのですが、不安にさらされているという自覚のない不安も多くあります。 「人を努力に駆り立てるもうひとつのもの」のところで書いたように、自分は希望を持って努力していると思っていたことが、実は不安や恐怖が原因で脅迫感に押されて努力していたという場合があります。 このような努力は、不安や恐怖を根本原因とするものであり、神経症になりやすい努力と言えます。 (詳しくは「人を努力に駆り立てるもうひとつのもの」をお読みください。)

  不安や恐怖は漠然としていて分かりにくいだけけに、不安感や恐怖感も増幅されます。 なにしろいくら頑張っても頑張っても不安はなくなるどころか、かえって増してくるのですから。 そこであせって間違った対応策を誘発しがちとなり、失敗は自信の喪失となり、自信の喪失は将来に対する不安や恐怖をますますかき立てて、悪循環を繰り返すようになります。

  不安や心配ごとがあると、どうしても悪い結果だけを予測するようになり、まだなにもしていないのに悪い結果がでたように感じてしまうのです。 そしてなにも手に着かなくなります。 将来起きるか起こらないか分からないことに気が取られて、現在というたったひとつの大切な時間を無駄なことに費やしていくのです。 いわゆる「取り越し苦労」の始まりとなるのです。 一方で結果を恐れずに果敢にチャレンジする人がいるのに、他方ではやる前から勝手に結果を決めてしまい、なにもできない人もいるのです。

  どちらの考え方が自分の人生にとって、生き甲斐を感じさせてくれるのか、それだけが問題です。  不安や恐怖に基づく努力が自分に生き甲斐を感じさせてくれるなら、その生き方はその人にとっては真実でしょう。 どんな生き方が正しくて、どんな生き方が間違っているのかよりも、自分にとってどの生き方が役に立つのかという基準で自分の生き方を決めるのがいいと思います。 人は何のために考えるのか。 それはしあわせになるために、どうしたらしあわせになれるのかを考えるためでしょう。 行動するために考えるのです。 考えただけでは、ものごとはどうにもならないのです。 考えて行動に移してこそ、考えることが意味を持ってくるのです。 考えること自体に意味があるのではなくて、考えを行動に移してこそ(実践してこそ)考えることに意味があるのです。 考えてばかりいても、なにも変わらないのではないでしょうか。 

  何のために考えるのかを、よく理解する必要があります。 ただし、考えることを軽視しているのではありません。 考えることは自分の生き方や考え方の原理原則を作ることですから、一生懸命考えることは必要なのです。 ただ考えてばかりいないで、自分の考えを実生活の中で試してみることが大切なのです。 

  大分横道にそれてしまったので、話をもとに戻します。 不安や恐怖は考えてばかりいても解消しないはずです。 人間の感情の奥深くに根ざしたものを、いくら理性で解決しようとしてもなくすことはできないのです。 感情と理性とは別のものだからです。 理性の上に感情があるのではなく、感情の上に理性が成り立っていると思います。 だからこそ自分でも説明のつかないことで、感動することがあるのではないでしょうか。  感情は、心の底の底に理性を作り上げるもととなって存在するものだからです。 不安は自信喪失の現れです。 自信のある人も不安を持っていますが、不安を乗り越える勇気と決断力を持っています。 不安や恐怖はあるかないかが問題ではなく、乗り越えられるか、乗り越えられないかの問題です。

  不安を乗り越えるには、まず行動することです。 ある程度考えたら、その考えを実践で試すのです。 このときに失敗を過度に恐れるからなにもできなくなってしまうのです。 仕事での失敗は基本的には許されませんが、失敗しても命まで取られることはありません。 (なぜ失敗を恐れるかについては、別のところで考えてみます。)   

  不安だからなにもしない。 なにもしないから、ますます不安になる。 そしてなにも手に着かなくなる。 この連鎖をどこまでも繰り返して、状況はどんどん悪くなって行くばかりです。 この悪循環をどこかで断ち切らなければならないと分かっていても、どうにもできないところに問題があります。 まずは結果をあまり気にせずに、行動することです。 「案ずるより生むが易し」しいうことわざもあるように、やってみなければ分からないのです。 考えたときには難しそうでも、やってみると案外簡単だったということはたくさんあるはずです。 逆に難しいこともありますが、多くのことは考えていたことよりは、やってみるとスムーズに行くものです。

 考えるとは可能性を考えているのであって、実際にどうなるかはやってみなければ分からないのです。 考えただけで結果が分かるなら(ものごとによっては、そういうこともあるでしょうが)、世の中はなくてもいいのです。 考えただけで結果の分かる世界は、神様の世界だけかも知れません。 やってみなければ分からないから、人生があり、世の中があるのではないでしょうか。 ここに知識重視の弊害があります。

  そして結果がでると、いままで悩んでいたことは「一体、なんで悩んでいたのだろう」ということになります。 そうすることによって自信がついてきます。 ものごとがよい方向に回り始めるのです。 行動してみなければ状況は変わりません。 変わらないよりも、行動しなければ悪くなっていくことでしょう。 

  不安を払拭するには行動してみるしかないのです。 頭の中で考えてばかりいると、ますます不安になるだけです。 行動に移してしまえば、あとは成功に向かって努力するしかなくなるのです。 「背水の陣を敷いた」ということになります。 自分で自分を逃げ場のないところに立たせたのです。 不安がっているひまがなくなったのです。  

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