どんなに遊んでも、心の底から楽しめない

  みなさんは自分の好きな遊びに熱中しているはずなのに、なぜか心の底から楽しむことができないという経験をしたことはありませんか。 若いときの私は、いつもなにかに追いかけられているようで、どんなに楽しいことをしていてもなにか心に引っかかるものがあり、本当に楽しいと思えたことはなかったような気がします。 そして、そのような心を隠すために明るく振る舞っていたようです。 パチンコやマージャンに、逃げ道を求めていました。 個人的なことでも、仕事の上でも常になにかに追いかけられているようで、なにをしていてもそれらのことが頭から離れることがありませんでした。

  その理由はそのときに薄々感ずいてはいましたが、それを認めたくなかったので、逃げ回っていたのです。 なぜ逃げ回らなければならなかったのか、その理由をあげておきます。

ひとつのことに集中しなかった
ものごとを中途半端にしていたので、頭から離れなかった  (結果が気になっていた)
責任を放棄しようとしていた
なにか問題が起きると、相手の責任まで被っていた
「先延ばし」と「その場しのぎ」をしていた
自分で努力することを放棄して、解決策を時間に求めた
だれか助けてくれるだろうと思った
だれにでもよく思われようとした
できない理由を自分の能力ではなく、時間の足りないせいにした
失敗から学ぶ姿勢が足りなかった
自分の意見や考えを発言する勇気がなかった
怒られるのが怖くて、事実を直視できなかった
ことなかれ主義に流れた
なにごとにも「メリハリ」がなかった
本当の自分を知ることが恐ろしかったので、故意に自分を無視した

   その理由をあげだすと、きりがなくなるくらいあげることができそうです。 要するに、このホームページで取り上げてきた「やってはいけないことことの多くのことを、してきたのだなぁ。」と思います。 だからこそ、このホームページを作る気にもなったのです。 そのような経験がなければ、このホームページは存在しなかったはずです。 

 

  ここでは、なぜ遊んでも心の底から楽しくなれないのかについてだけ、考えてみたいと思います。 心の底から遊びを楽しめるようになるにはどうすればいいのかは、このホームページ全体を読んでいただければ、なにかヒントの一つや二つくらいはつかんでいただけるものと思います。 「遊んでも楽しくない」、このことはとってもつらいことです。 自分の好きなことや楽しいはずのことをしても、心が晴れ晴れとしないのですから、つらくて苦しいのは当然なのですが。

  理由は、次のことに言いつきると思います。 すなわち、楽しむために遊んでいたのではなく、苦しみを逃れるために遊んでいたからだと思います。 人生にはいいこともあれば、つらいこともあります。 つらいことや苦しいことを忘れたいとか、逃げたいということは人間として当然の気持ちなのですが、逃げ切ることはできないのです。 そのときは知らなかったとしても、逃げ切ることのできないことを逃げようとしたから、いくら遊んでもそのことに集中できず、心が晴れ晴れとすることがなかったのだといまになって分かりました。 でも無意識の中では、分かっていたのかも知れません。

  楽しむために遊んでいれば、心が晴れ晴れしないことはないはずです。 自分の好きなことであれば困難なことでも、積極的に挑戦できるではありませんか。 肉体的にどうとかいう問題ではなく、心のあり方の問題なのです。 肉体的には楽なことでも、自分のいやなことをするのは精神的には必要以上に疲れることなのです。 「楽しむために遊ぶ」という言い方さえ、おかしいかも知れません。 遊ぶことには、遊ぶということ以外に理由はないのかも知れませんから。 「遊びたいから遊ぶ」、それ以上の理由は不必要なのです。 でも実際には、ストレスを解消するために遊ぶことが多いですけれども。 遊ぶことに理屈を付けても、しょうがないと思います。 遊ぶときは思いっきり遊ぶことができれば、それでいいではないですか。 だめでしょうか。

  なにをするにしても大切なことは、メリハリをつけるということでしょう。 別の言葉で言えば、あるときは一生懸命になり、あるときは息抜きをするということです。 気分転換を上手にすることです。 どんなことでも最初から最後まで集中してすることは大変なことですし、かけた時間の割りには能率が上がらないことも多いのは、経験的によく知られていることです。 ここぞと言うときには集中的に力を投入すること、これが大切です。 メリハリがない人はいつも同じようにがんばらなくてはならず、その割りには仕事の能率が上がらず、自信を失うことにもなりいいことはありません。 私がそうでした。 

  遊ぶときは遊ぶ、仕事をするときは仕事に打ち込むと言う姿勢が、生きることを楽にしてくれると思います。 そしてひとつひとつ、けりを付けていくことです。 ひとつひとつのことにけりを付けることができれば遊ぶことも苦しさの逃げとはならず、遊びは楽しみとなり、次に一生懸命働くエネルギーともなります。 

  もう一度繰り返します。 現実から逃げるために遊んでも、心が晴れることはないのです。 現実と向き合う以外に、問題を解決することは不可能なのです。 問題を解決してから遊べば、きっと心の底から楽しめるはずです。

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