後悔が納得に変わるまで苦しみは続く

 人はなぜ後悔するのでしょうか。 そしてその苦しみはいつまで続くのでしょうか。 このことは人生における大問題のひとつです。 後悔することもない、苦しむこともない、悩むこともない人生を送ることができたら、どんなに楽だろうと考えたことのない人はいないと思います。 しかしながら、生きている限りは悩み、苦しみ、不安、絶望、挫折、失敗そして不信といった、人生において一見マイナスと思えることを避けて通ることはできないのです。 このことも何度も書いてきたとおりです。 なぜそうなのかは、「現実から逃げるな、目をそらすな」、「失敗は行動の証」、「経験が人をつくる」、「この世の中はすべてが相対的」などを読んでください。

  私たちはなぜ後悔することがあるのでしょうか。 それはものごとにはほとんどの場合、複数の選択肢があるからだと言えます。 詳しくは「選ぶということ」を読んでください。 つまり、何かしようとするとき方法が複数あって(たとえばA.B.C.Dの4つの方法があったとします)、状況を総合的に判断してAの方法を選択したが、結果は失敗したとします。 そうすると、「なぜB.C.Dの中から選択しなかったのだろう」と考えると思います。 これが後悔するということです。 方法がたったひとつしかないとすれば、ほかにはやりようがなかったのですから失敗しても「ほかにはどうしようもできなかった」と簡単に事実を受け入れることができるのです。 失敗すればいくら最善を尽くしたとしても、後悔することになると思います。 ただし、その後悔の程度は人によって大きく違うと思いますが。 あっさりと事実を受け入れる人もあれば、絶対に事実を受け入れることのできない人もいるでしょう。 後者の考えに立つ人は、責任転嫁をしたり、言い訳に終始したり、社会や相手を呪ったりする人ではないでしょうか。 

  後悔し続けることは、悩みや苦しみが続くことです。 どうしたら後悔することが少なくて済むのでしょうか。 それには現実を現実として受け入れることができるかどうかの、一点にあると思います。 私は過去はどんなことをしても変えることはできないと言ってきました。 それなのに過去の事実を認めようとしない、あるいは事実を歪曲しようとするから苦しみが大きくなるのだと思います。 事実を受け入れることができれば、心は軽くなるはずです。 だれでもこのようなことは経験したことがあるのではないでしょうか。

  悩んでいたことを突然納得できることがあります。 理解ではありません。 理解は理詰めでするものですが、納得は感情、無意識の世界、心の底の底でするものです。  それも考えに考えて納得するのではなく、ぼけっとしていたり、なにかほかのことをしていたときに、突然「ああ、そうだったのか」と思い当たることもあるものです。 これが私の言う「後悔が納得変わる」ということです。 自分でも説明のつかないときに、自分でも説明のつかない方法で納得できることがあるのです。 納得とは理性を越えたところにあるもので、人生を支えるもっとも大切なことだと思うのです。 「自明」という言葉がありますが、まさに今まで悩んでいたことが自明のこととして理解できることがあるのです。 そこには理屈や理性が働いているのではなく、ただ納得できる(感じる)としか言いようのないことなのです。 それは心の奥底で過去の事実を受け入れることができたということだと思います。 過去が自分の人生の糧となった瞬間ではないでしょうか。 それ以外に、私には説明できないのです。 そして、それ以上のことはなにも必要がなくなるのです。 ただ「ああ、そうだったか」。 それだけです。

  後悔が昇華されて納得できたのです。 したのではなく、自然にできたのです。  このとき、はじめて苦しみは本当の意味で人生の糧となるのでしょう。 このときこそ苦しみが無駄ではなくなったのです。 なにしろ、この世の中はすべてが相対的だからです。 世の中の多くのことは理性で判断して理解することも重要ですが、もっと重要なことは「なにがなんだか分からないけれども、納得できること」ではないでしょうか。 そしてこのことが、自分の人生の根本を支えてくれるものと信じています。 納得といいってしっくりこなければ、直感といってもいいでしょう。 自明とか、直感には説明は不要なのです。 不要と言うよりは、説明することができなのではないでしょうか。

  この説明のできないことが、人生の根本を支えているのだと思います。 理性で理解できないことを軽視してはなりません。 人間の存在そのものが、非合理的なものに根ざしているからだと思います。 非合理的なことは非合理的なこととして受け入れ、無理に説明しようとしないことが重要ではないでしょうか。

  「自明」ということについて、自分の考えをまとめようとしているのですが、いまの段階ではどうしてもまとめることができません。 いずれ書くつもりではいますが。 

  このことこそ、自分を許すということではないでしょうか。  現在の自分を正当化するために過去を歪曲しようとするから、しなくてもいい苦しみを味わわなければならなくなるのだと思います。 なぜなら、他の人には分からなくても、自分が自分を偽っているという事実を隠すことができないからです。 過去の事実を事実として認めることによってのみ、自分を正しく把握することができ、そこから新たな道が開けるのではないでしょうか。 過去を歪曲することからは、幸せは生まれてこないのです。 自分の生き方を振り返ってみて、こう断言できます。

  自分に嘘をついている限り、心が安らかになることはないのです。 自分の心に嘘をつかないこと、本当の自分を見つめることによってのみ、苦しみから抜け出せると確信します。 自分に嘘をつかないためには、勇気が必要です。 本当の自分を認めることによって、自分がどんな状況にさらされるか分からないからです。 だから心の弱いひとは、自分を見つめることから逃げてしまうのではないでしょうか。

  後悔が納得に変わるためには、苦しみや悩みを避けられないのだと思います。 苦しみや悩みこそが、本当の自分を分からせてくれるからです。 だから苦しみや悩みを避けている限り、生きる喜びが湧かないのではないでしょうか。

  分かりやすく言えば、過去を反省材料として現在の考え方や行動を変えることができないから、あるいは変えようと言う問題意識が持てないから苦しみ続けてしまうのです。 過去の事実に目を背けてしまうから、過去を将来のために役に立てることができなくなるのです。 そのような気持ちのままでは、過去を忘れようとすればするほど、過去にとらわれてしまい現在と将来の自分を苦しくするだけではないでしょうか。

  過去の出来事を将来「役にたった」と心から思えて瞬間に、その人は自由になれたのです。 過去にこだわっている限りは、決して自由になることができないのです。

 いま改めて思うことは、自分を正当化しようということ自体が自分を苦しめているのだということです。 あるがままの現実を受け入れて、勇気を出して現実を見れば苦労は残っても、苦しみの多くはなくなるか、大幅に減らすことができるということです。 あれやこれやと、理屈を付けて自分を正当化することが、苦しみの原因だと思い至りました。 これは大切なことです。 2013年9月気づきました。

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