過去にこだわりすぎると、先が見えにくくなる

  私たちはなにか失敗すると、「どうして、あんなことをしてしまったのだろう」とか「どうして、こんなことに気づかなかったのだろう」といって、後悔するのが一般的だと思います。 自分を責めてにっちもさっちもいかなくなってしまうことも、決して珍しいことではありません。 ときによっては、自分のしたことや言ったことで相手の心に深い傷を負わせてしまい、自責の念に駆られて一生自分を責め続けてしまう人もいます。 (この件に関しては「自分の責任範囲を明確にしよう」を読んでください。 なにか役に立つことがあるかも知れません。)  悲しい現実なのですが、このような生き方をしてしまう人が日本人には多いように思います。 過去を引きずって生きることや、相手の責任まで背負って生きることを、美徳とする考えが日本人にはまだあると思います。 このことがよいことなのか、よいことではないのか(悪いこととは言いません)は、ここでは言及しません。

  ごく手短に書いてみます。 悩みだすとどうしても積極的な考え方ができないことについては、すでに書きました。 
 悩みだすと、

よいことは考えにくくなる
幸せは一生自分に巡ってこないようにしか思えない
この苦しみが死ぬまで続くような気がする
自分は生きていても意味のない存在のように思える
あり地獄の中をはいずり回っているようで、希望はなにひとつみえてこない
周りの人は自分を笑っているように思える
他人の忠告も悪口のように聞こえる
足下を見つめることができず、遠くの方だけみてしまう
自分の本当の姿を見つめることが怖くて、自分を偽ってしまう
分かっていても自分の言動を変えられなくなる

  まだまだありますが、これくらいにしておきます。 

  私が言いたいことは、苦しみから抜け出そうとして、事実を把握できなくなっているのではないか、遠くばかりみて、近くをみていないのではないかと言うことです。 自分の将来のことが考えられなくなってしまったら、「過去のどうにもならないことにこだわりすぎて、大切な将来をだめにしているのではないか」ということを考えてみてほしいのです。 そして過去へのこだわりは意識的というよりは、無意識的にこだわっている可能性が高いと言うことです。 (理由は長くなるので書きません。) 無意識のうちに過去にこだわってしまっているから、発想の転換ができにくいのではないかと言うことなのです。  

  意識的に過去にこだわっているのであれば、原因ははっきりするので解決もしやすいのですが、無意識うちに(性格のようなこと)過去にこだわっているとすれば解決には時間がかかるでしょう。 自分が無意識のうちに過去にこだわっていることに気づくのに、まず時間がかかるからです。 そのことに気がついてしまえば、そのあとの解決は比較的楽だと思います。 

  人生でどうにもならなくなったら先のことばかり考えないで、このようなことも考えてみることが解決への近道になるかも知れません。 「急がば回れ」とも言いますから。 でも、言うことは簡単ですが実行することはむずかしいことです。 でも、このことを抜きにしては根本的な解決はできないと思うのです。 根本的に解決できないということは、いつかはまた同じような問題で悩まなくてはならないということです。 どうせのことなら、同じようなことでの悩みや苦しみは、今回限りにしたいものです。

  過去の事実を事実として認めることと、過去を事実として許すことが必要だと思います。 私ごとですが、過去を認めることと許すことで生きることが楽になれたと信じています。  認めることと許すことは、同じことなのです。 過去を否定していては、前進はありません。 過去にこだわりすぎることは身の破滅につながります。 だから過去にこだわり続けてはならないのです。 過去にこだわることは美徳でもなければ、勇気のあることでもないのです。 しかし過去を反省材料として見直すことは不可欠なのです。 積極的に生きようとする勇気がないから、そのことの埋め合わせのために過去にこだわり続けるのではないでしょうか。

  私たちは多くの場合、将来は過去の延長と考えがちですが、過去は過去、将来は将来と分けて考えることが必要だと思うようになってきました。 これは大変むずかしいことなので書いている私にも自信はありませんが、過去と将来を分けて考えることが生きることを楽にしてくれると思います。 過去の思い出をどんなに大切にしても、将来は明るくはならずに、かえって過去の延長として暗く移るように思うのです。 過去にすがって生きることは美しいことのようにはみえても、人間を幸せにすることはないのです。 その証拠として過去の思い出を生き甲斐として生きているひとたちを観察してみるといいでしょう。 聞こえてくるのは愚痴や恨みが多いとは思いませんか。

  過去にこだわると、恨み、憎しみ、後悔といったマイナス面ばかりが思い出されて、積極的なことが考えられなくなります。 頭では分かっているのだけれども、体がいうことをきかなくなるのです。 その憎しみや後悔に対処することばかり考えてしまい、将来をどうするかということが考えられなくなったしまうのです。 過去は忘れるに限ります。

  過去を忘れるとは本当に忘れることではなくて、心に刻みつけて、それを克服することだと思います。 忘れようとして忘れられるのなら、それにことたことはありませんが。 それと、自分を正当化しようとしてはならないということです。

  過去にとらわれている限り、自由になることはできないのです。 過去を反省材料としてそれを乗り換えなければ、自由にはなれないのです。 つくづく、そう思います。

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