相手を恨めば自分が苦しむ

ここでは「相手」という言葉を、「親」に置き換えるといまの親子関係が分かるかも知れません。

  この件に関しては私も大きなことは言えないのですが、現実の社会にはこのことで苦しんでいる人も多いし、自分を鼓舞する意味でも書いておきたいと思いました。 なぜ他人を憎むことが自分を苦しめることになるのか、そのことを知っているだけでも苦しみがなくならなくても、心の痛みを和らげることができると思うのです。

  人間がだれかを愛したり、憎んだりせざるを得ないのかは私にも分かりません。 本能だと言ってしまえば、それまでなのですが。 その理由が分からなくても、苦しみを和らげることができるのです。 風邪の原因が分からなくても、風邪の症状は治せるのと同じことです。 相手を恨む理由は人によって様々でしょうが、恨みとか、憎しみとか、怒りといった感情は、相手にすぐに直感的に伝わるものです。 このことはだれでも経験していることなので、思い当たる節があるはずです。 具体的な言葉や行動に表さなくても、相手には敏感に伝わってしまうのです。 人間だれしも自分を快く思わない人を好きになれるわけはありません。 そこでお互いに反目し始めます。 そのことを具体的な行動や言葉で表現する人もいますが、多くの場合は相手と口を利かないなどの接触を避けることによって、消極的に自分の感情を表現することが多いと思います。 

  また、いやがらせという方法を使う人もいます。

  その原因の多くが自分にあることを知っていても、相手を憎まずに入られないのが人の感情というものです。 そうすることによって自分の心の中に相手に対するわだかまりができて、そのわだかまりが常に自分の心を支配してしまうのです。 自分に責任のないことで憎まれても同じことです。 私などは、風呂に入っているときにそんなことを思い出すことがあります。 相手が自分のことをどう思っているか分からないのに、自分で勝手に相手のイメージを作り上げてしまい、そのイメージと独り相撲をとってしまうのです。 「ああでもない」、「こうでもない」と考え込んでしまうのです。 そして積極的な姿勢が消えて、消極的になり、やること、なすことが悪い方に展開してしまうことが多いのです。 自分で自分の心をひとつのイメージに閉じこめてしまうのです。 閉じこめることは不自由になることであり、不自由は自分を苦しめます。

  相手を憎んでいる自分を忘れたくても忘れられないから、ますます相手を憎むことで感情を納得させようとするのではないでしょうか。

  これが「相手を憎めば自分が苦しむ」ということです。 もしかしたら、相手は深刻には考えていないかも知れないのです。 相手に対するわだかまりが大きくなればなるほど、自分が苦しまざるを得なくなるのです。 憎しみは憎しみを持って解決することはできないのです。

  このような場合どうしたら一番いいのかということが、私には実践が難しいので困っています。 最良の方法は相手に自分の気持ちを正直に話すことだと思うのですが、これができないのです。 きっかけが、かなかなつかめないのです。 夫婦の間でも同じです。 でもこの間はこの方法で夫婦間の行き違いがとれました。 この調子のいいことがいつまで続くか分かりませんが、とりあえずめでたし、めでたし。 自分の気持ちを正直に話して、その結果は相手の出方次第に任せることだと思います。 なぜなら、他人の心を人はコントロールすることができないからです。 たとえ夫婦であってもです。 ここから先は、相手の出方に任せるしか方法はないと思います。 それでも自分は自分の気持ちを相手に正直に伝えたので、胸のつかえはいくぶんかはとれると思います。 胸のつかえさえとれてしまえば、苦しみは大幅に減ってしまうのです。

  次善の策は、相手を無視することではないでしょうか。 当事者のどちらか一方が相手を無視すれば、けんかは成り立たないからです。 もし相手から売られたけんかなら相手を無視すれば、相手は拳をおろすところがなくなるので、そのうちにあきらめると思います。 一番いけないのは、売られたけんかを買うことです。 

  憎しみに憎しみを持って反撃することは憎しみを増すばかりで、自分の心をますます疲労させるばかりです。 これもだれもが経験していることではないでしょうか。 正確には覚えていませんがイソップ物語の「旅人と太陽の話し」は、結局あたたかい思いやりのある方法をとった太陽が勝ったはずです。 でも、分かっているけれどもできないのですね。 だから人間は苦しむのだと思います。 分かっていることをその通り実行できれば悩みはないのです。 分かっていてもできないことが、人間の不条理さのひとつなのです。 しかし分かっていてもできないからあきらめるのではなく、分かっていてもできない自分の姿を率直に認めることが大切だと思います。 すべては、ここからはじまると思っています。

  最低限、売られたけんかは無視するように努めましょう。 自分が悪いのであれば、これ以上の憎しみは持たないように努力しましょう。 こう書いたからには、私が一番実践しなくてはならないのです。 きっかけをつかむことが難しいですね。 きっかけさえできれば……。

  なにが「きっかけ」になるのか。 それは一人一人の問題意識の持ち方にあると思います。

  相手を憎まないためには、相手を許すしかないと思います。 許すことは忘れることとは違います。 事実をしっかりと頭に焼き付けた上で許さなければならないから、「言うに易く、行うに難し」なのです。 私にはときと場合によってはできることもありますが、やっぱり自信はありません。 自信はありませんが、その目標に向かって努力していきます。 いま言えることはそんなことくらいです。

 「許す」とは、現実を受け入れることだと思います。 自分では変えようのない現実を受け入れて、そして自分の心の整理を付けていくことではないでしょうか。 いい意味での「諦め(ギブアップ)」が必要だと思います。 この場合の諦めは現実肯定のあきらめです。

どんな現実でも、現実は現実なんだという現実を肯定する生き方です。 そして、そこから出発する生き方です。

  他のひとの言動にこだわっている間は、そのことに自分の心がさかれるので自分が苦しむことになります。 ものごとはいい意味でこだわることが大切ですが、悪い意味でこだわるとろくなことがないようです。

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