「いい人」と「人のいい人」

  この違いが分かりますか。 それとも同じでしょうか。 両者の違いはとても大きいと思います。 以下、「いい人」と「人のいい人」について、思いつくままに箇条書きにしてみます。

  「いい人」とは

信頼できる人
世の中の役に立つ人
思いやりのある人
面倒見のいい人
       ・これは要注意です
目先のことにあまり惑わされず、物欲だけでは動かない人
信念のある人
知恵があり、それを人のために使える人
怒るべきときには本気になって怒ることのできる人
       ・相手のことを本気になって心配するから本気になって怒る
人の道をわきまえている人
約束を守る人
陰口をたたかいない人
あまり自慢をしない人
現実を直視できる人
そのほかにもいろいろありますが、これくらいにしておきます

  「人のいい人」とは

自分のことは後回しにしてでも、相手の面倒をみる
       ・これのどこがいけないというのでしょう
信念がない
八方美人
なんでも頼まれれば引き受ける
反論しない
他人に誠実な関心を示さない
面倒見はいいが責任感がない
金離れがいい
本気になって怒れない
根気がない
人に利用されてばかりいる
生き方に対する自分なりの考えがない
自分自身に対しても責任が持てない
行き当たりばったり、出たとこ勝負が多い
自分と他人の区別が明確でない
優柔不断
相手に対してはいつもいい顔をする
拒否できない
以外に約束が守れない
これくらいにしておきます

   なぜ、こんな変とも思えることを書くかと言えば、「いい人」と「人のいい人」の区別が付かないために、色々なごたごたが起きているように思えるからです。 色々な考え違いや誤解や行き違いが生じているのではないでしょうか。 この両者の違いをはっきりすることによって、生き方が少しはすっきりすると思うからです。  

  まず「人のいい人」から、はじめましょう。 「人のいい人」は概して人付き合いがよく仲間を愉快にさせ、なくてはならない存在ですが、それだけの存在であって、重要なことを任せるにはとても危険な存在です。 なぜ人付き合いがいいかと言えば、自分に自信が持てないので他の人に嫌われるとなにもできなくなるので、相手に嫌われないようにつき合いをよくしているからではないでしょうか。 いつも周囲のことばかり気にして生きている人だと言ったら言い過ぎでしょうか。 本人はこのことを意識していない場合が多いと思いますが、私の経験からはこのように思えます。 責任感が乏しいので、大切なことは任せられないのです。 このような人に大切なことや時限のあることを頼んでひどい目にあったことはありませんか。 決して悪い人ではないのですが、自覚が乏しいので当てにできないのです。 たんなる遊び仲間でしかないのです。

  みなさんの友だちでも人のいい人がいると思いますが、そのように人に大切なことは頼めますか。 おそらく頼めない人の方が多いのではないでしょうか。

  「人のいい人」は第一印象がいいので、つい軽い気持ちでおつきあいが始まりがちですが、深入りするとことは避けたいものです。 本人は本当にだれかの役に立ちたいと思っていることが多いのですが、なにもかも引き受けてしまうので、結果的に満足に仕上げることができないのだと思います。 そして信頼を失ってしまうのです。 人の役に立ちたいと思いながらも信頼を失うことは、本人にとっては耐えられないことかも知れません。 できることとできないことを峻別して引き受けさえすれば、決してこんなことにはならないのです。 

  そしてこのような人は利用されるだけ利用されて、利用価値がなくなれば真っ先に切り捨てられるのです。 なにしろ信頼できないのですから。 相手には、長くおつき合いする理由はなにもないのです。 利用価値があればこそ、おつきあいをしているのですから。 そしていまはそんな人間関係を、友だちや親友と思い込んでいる人も多いのです。 「ひとのいい人」は、自分が信頼されているからおつき合いしてもらっているのだと誤解していると思います。 「ひとのいい人」は相手に都合の悪い真実は言葉を濁したり、自分の意見をあまり言わないものです。 理由は相手に嫌われたくないからです。

次に「いい人」とはどんな人なのかについて、考えてみます。 「いい人」は一般的に自分に厳しく、思いやりがあり、相手のためだと思えば言いにくいこともはっきりいう人ではないでしょうか。 自分本位にではなく、ものごとをはっきりということもやさしさのひとつでしょう。 こう書くと疑問に思われる人も多いと思いますが、ものごとをはっきりと話すことは誤解を避けることができ、その結果相手に迷惑をかけることも少なくなるという意味です。 やさしい人というと、日本人は「して欲しいと思うことを、なんでも相手の要求通りにしてあげる人」と考えがちですが、それはとんでもない間違いだと断言します。 それこそが誤解の始まりではないでしょうか。
 
 やさしさとは、ときによっては冷たく、冷酷なものでもあるのです。 やさしさは、どこかにも書いたと思いますが苦労を知らない人、本当に悩んだことのない人、人の心を理解できない人とは無縁のものなのです。 それはやさしさでもなく、思いやりでもないと言えます。 人生の修羅場を数多く経験していない人は、やさしくはなれないと思います。 人生の苦しみを知っていればこそ相手の気持ちが分かり、分かるからこそ相手の立場に立って考えることもできるのです。 いい人は決して一般論的なことは言わないと思います。 一般論でしか話すことのできない人は、人生経験が少ない証拠ではないでしょうか。

  よく悩み事を相談すると「おまえの気持ちはよく分かった」と言う人がいますが、それは気休めに言っているのか、分かったと思いこんでいっているのか、はたまた相談相手に嫌われたくないためにそう言っているのか、そのようなケースが多いように考えてしまうのは、私がへそ曲がりだからでしょうか。 他人の気持ちはそんなに簡単に分かるものではないと思います。 ただ分かったような気がすると言うことは結構ありますが、相手の気持ちをどこまで理解しているかは疑問です。 人の気持ちが分かるためには、それ相応の人生経験が必要なのではないでしょうか。

  苦しんでいる人は一般論を求めているのではないのです。 自分はどうしたらいいか、それを求めているのです。

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