臆病者と言われることを恐れるな

  人間の習性のひとつとして、私たちは臆病者と言われることを恥とも思い、そして恐れます。 このことを逆用して、相手に悪いことをさせる人もいます。 「おまえは臆病者だ」と言えば、そう言われた人は自分は臆病者ではないことを証明するために、あえて悪いことと知りながらも悪、場合によっては恥でもなければとても勇気を必要とすることだと思います。 臆病と言われることと気の小さいこととは、本質的に違うことだと思うのです。 

  本来の意味での臆病とは
     ※ 胆力がなくて少しの物事にもおじけ(ひるみ)恐れること

 とあります。 「肝っ玉が小さく、ちょっとしたことにもおじけついて実行に移せないこと」とでもいったらいいでしょうか。 それが臆病の本来の意味です。 私などは田舎育ちだったものですから、小さい頃は家の周りは森や竹藪だらけで夜になると外灯もなく真っ暗でした。 そんな中で近所のおじいさんからお化けの話を聞いてからは、夜一人で便所に行くのが怖くなって中学生になるまで家族についていてもらった記憶があります。 そんなことは、本当の臆病ですね。 

  ここで取りあげる臆病は本来の臆病ではありません。 相手を臆病者と呼ぶことによって、相手の自尊心を傷つけて悪いことをさせるために用いるときの臆病です。 人は悪いことと知りながらも悪いことをするときは、自分ひとりでするのは恐ろしいのでだれか仲間をつくろうとします。 誘われた人も悪いことと知っているのでことわろうとすると、「なぁんだ、おまえは度胸がないな。 臆病者だな」と言えば、相手は臆病と思われるのがいやだったり、大事な友人を失いたくないなどの理由から、心ならずも悪いことの手伝いをすることがよくあります。 言い出した本人が臆病だから、だれかを道ずれにしないではいられないのです。 こんな友人は友人でもなければ、ましてや大切な友人ではなく、一時も早く関係を清算すべき人なのです。 このように悪いことに誘われたときに断るには、自尊心と自信と勇気がなければ断れないのです。 危険や悪いことと知りながらも、周囲のことを気にして断れないのが本当の臆病です。

  自分に自信が持てないから、自分を信じられないから、相手の言うがままになってしまうのです。 こんなときは臆病者と言われることが勇気ある行動なのです。 「赤信号、みんなで渡ればこわくない」と言う流行語がありましたが、いまの若い人たちの中にはみんなですることであれば、なにをしてもかまわないと言う風潮が強過ぎはしませんか。 みんなで悪いことやよくないことをしようとしていることに反対することは、大変な勇気を必要とするのですが、後で後悔しないためにも勇気を出して反対することが必要でしょう。 日本人の好きな「和の精神」とは、みんなで一緒に悪いことをしようとするときに利用されるのです。 日本人は「組織をみだす」と言われることを、極度に嫌いますから。

  「おまえは臆病者だ」と言われたときは、なぜ相手がそういうのかを考えてみることです。 そうすれば、自分が本当に臆病者なのか、そうでないのかがはっきりするはずです。

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